創刊30年記念企画 シティライフアーカイブズ【北摂の歴史記録】 日本最古のカフェは箕面にあった


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現在、そして未来にもつながる過去の情報を取材、編集し、記録する特集です。
北摂の歴史から、私たちの住むまちの魅力を学び知る機会になればと思います。
第9回は箕面にあった「日本最古のカフェ」について関西大学の学生がレポートします。

歴史案内人


関西大学政策創造学部の深井麗雄ゼミの4年、3年、1次生の4人が、箕面市役所やカフェ関係者、研究者を取材しました。



日本最古のカフェは箕面にあった
-1911年— 銀座より6ヶ月早くオープン


「鉄道王」小林一三と「ブラジル移民の父」水野龍


10月号で紹介した「幻の箕面・巨大動物園」の近くに実は、もうひとつ興味深い店があった。「パウリスタ」という名の、ブラジル直送のコーヒー豆を使った、「日本最古の本格カフェ」だ。動物園では1910年、鉄道王・小林一三と化粧品王が交錯したが、今回のカフェには鉄道王と「ブラジル移民の父」がからんでいる。当時の極上の建築材料をふんだんに使ったその西洋建築は後年、なぜか豊中市内に移築され自治会館として長く使われた。1911年、箕面の田園地帯に忽然と姿を現し、わずか1年で姿を消した「最古のカフェ」の、数奇な運命をたどってみた。 1910年(明治43年)3月10日、阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道の箕面線が開通した。「幻の動物園」はその年の11月、箕面観光ホテルのあたりに開園した。箕面市の調査などによると翌1911年6月、カフェは箕面駅前の金星塔の東側にある洋館で開店した。正式には「カフエーパウリスタ箕面喫店」(以下箕面店と略)という。当時は喫茶店を「喫店」と呼んでいた。また「パウリスタ」とはブラジル語(ポルトガル語)で「サンパウロっ子」という意味合いだ。いうまでもなくこの店は、コーヒーの原産地であるブラジルとの関係が濃厚だったが、それには次のような経緯があった。 水野龍。「ブラジル移民の父」と言われる男で、1859年(安政6年)高知県高岡郡佐川町の土佐藩士の次男として生まれた。小学校の教員などをしながら慶応義塾に入学。海外雄飛を説いた福沢諭吉の影響を受けながら30歳で卒業した。同窓生には鐘紡社長の武藤山治や三越百貨店を創設した高橋義雄ら、後に政財界で活躍するそうそうたるメンバーがいた。 卒業後、岡山県庁に勤務したが、政界進出をもくろみながら挫折。その間に海外に目を向けるようになり、やがてブラジルのコーヒー産業の将来性に着目。自身の現地視察などを経て1908年(明治41年)、約800人の第1次移民団を率いてブラジルに渡った。これを契機にブラジルへの移民はその後増加し、10年余の間に3,000人に達した。
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箕面公園入り口
(箕面市行政史料・個人寄託)。向かって右の三角屋根の2階建ての洋館にパウリスタはあった。


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関西大学 西澤英和教授らが製作した箕面のパウリスタの復元模型

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珈琲史を塗り変えた


特にコーヒー栽培の盛んなブラジルサンパウロ州の州政府との関係が深かった。そこで当時まだ日本ではなじみの薄かったコーヒーの普及と販路拡大めざし、州政府から無償で提供されたコーヒー豆を元に、本格的なカフェを東京、大阪などで次々に開店、大正時代には全国で26店を展開した。そしてその1号店は1911年(明治44年)12月に開店した銀座店だと長い間考えられていた。ところがこれがひょんなことから2003年にひっくり返ってしまった。 銀座とは何の関係もなかった箕面に、銀座より6ヶ月早く1号店が開店したことに、箕面市の市史担当職員が気づいたのだ。箕面有馬電気軌道の箕面駅前が写った当時の絵葉書を調べると、駅前の洋館の壁に「カフエーパウリスタ」という文字を見つけた。さらに調べると1911年の6月24日付大阪朝日新聞の広告に「カフエーパウリスタ」が「6月25日開業」という広告を見つけた。また同年7月3日付の大阪時事新報朝刊でも「箕面公園停留所前にブラジル式の珈琲店を設け、此の程より開業したるが・・・」と報じている。 現在のパウリスタを経営する日東珈琲(東京)の元社長、長谷川泰三氏は、著書『日本で最初の喫茶店「ブラジル移民の父」が始めたカフエーパウリスタ物語』(文園社)の中でこう書いている。「それにしても箕面市役所の職員たちによる発見は『日本珈琲史』を新しく書き変える快挙として評価されるだろう。何しろ日本の珈琲業界の誰ひとり、箕面パウリスタが日本初の本格的珈琲喫茶だったという事実どころか、店が存在していたことすら知らなかったからである」と。 
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「カフエーパウリスタ箕面喫店」は豊中市に移築された。当時の面影が残る。「豊中クラブ自治会館」として長く親しまれ、その後解体された。
(写真は豊中市提供)

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銀座のパウリスタ開業100周年記念として復刻され箕面市役所に送られてきた開業当時のカップや珈琲缶など。
(箕面市役所で)

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箕面市役所に所蔵されている「カフエーパウリスタの開業広告」のコピー。
(同上)



一年で閉店


箕面店の出店には当時の大阪製菓株式会社取締役の渡邊益夫が関わっており、同社のお菓子とコーヒーのセットが10銭で提供されていた。この建物を研究した関西大学の建築学科、西澤英和教授によると「旧パウリスタの資料を調べてみると、とても良い材料が使われていて、ものすごく手の込んだ、最高の仕事が行われていた。きっと水野龍と同じ佐川町出身の大工が、『わざわざ高知から行くのだから』と良い材料を持っていったからだろう」と推測している。 しかし結局、この店はわずか1年で閉店する。もともと箕面店にしろ銀座店にしろ、時代の先端を走る店だったが、背景がまったく違った。佐藤春夫、芥川龍之介、菊池寛ら名だたる文化人が通った銀座店と、農村地帯の真ん中に忽然と現れた箕面店。おまけに動物園も閉園し客足が遠のけば箕面店の閉店は目に見えていた。 建物はその後、2009年、専門家の調査で豊中市に移築され、地元住民の交流の場として「豊中クラブ自治会館」として長く親しまれたことがわかったが、その後解体された。西澤教授は「文化財として価値のあるものだったのに」と残念そうだ。

なぜ箕面に?

では最後の謎。なぜ日本最古の本格的カフェが箕面にできたのか。中牧弘允・吹田市立博物館長はこう推測する。「珈琲の普及のため、パウリスタを全国に店舗を展開するにあたり、大阪ではどこがいいかと考えた折、ちょうど同時期に有馬箕面電気軌道が西洋風の動物園や洋館を建築していたことから、箕面に出店しようとしたと考えられる。また、小林一三と水野龍は同じ慶應義塾の生徒(小林:1888?1892年、水野:?1888年)であったことから何らかのコネクションがあったものと考えられる」。 また日東珈琲の元社長、長谷川氏も「箕面有馬電気鉄道総裁、小林一三は、カフエーパウリスタ創始者、水野龍と慶応義塾大学の同窓でした。小林一三が水野にパウリスタを箕面に出店するよう依頼したと考えられます。この推測は、小林の宝塚少女歌劇館の中にパウリスタが出店(最近、この絵葉書が二枚、発見された)している事からも妥当と思われます」と話す。10月号の「幻の箕面動物園」と同様、北摂でも阪急電鉄創始者・小林一三の影響は極めて大きかった。明治から大正という近代日本の黎明期に、小林のような巨星のもと、「化粧品王」から「移民の父」まで、様々な才能が自由奔放に、まるで蚕のように新たな事業を次々に紡ぎ出しては、時代を駆け抜けていった。


取材を終えて


第7回「シテイライフアーカイブズ」で取り上げた「幻の巨大動物園」の取材時に、今回の「最古のカフェ」の資料を見つけました。何よりも興味深かったのは、100年ほど前、ブラジル直送のコーヒー豆を使った本格的なカフェが、銀座店に先立つ6ヶ月前に、箕面という当時の田園地帯のど真ん中に忽然と現れ、わずか1年で閉店した点です。しかもその事実は長く眠っており、今世紀に入ってようやく箕面市職員の手で発見されたというドラマティックな動きに、私たちの取材心は大きく揺さぶられました。取材を続けるうち、「ブラジル移民の父」が登場したり、パウリスタが小林一三の宝塚少女歌劇館にも出店されたこともわかり、歴史の迷路に刻みこまれた面白さと不思議さにひきつけられました。さて、次はどんな素材に取り組もうか、と構想を練り始めたところです。
関西大学政策創造学部 深井麗雄ゼミ秋山高志 大貫煕 中原ゆうり 山本竜誠 玉石真理


この記事を書いた人:

シティライフ編集部
北摂・阪神の地域情報紙『シティライフ』の編集部です。 市民記者の皆様と一緒に、地域密着の情報をお届けします。

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