創刊30周年記念シティライフアーカイブス 北摂の歴史記録


アーカイブス

現在、そして未来にもつながる過去の情報を取材、編集し、記録する特集です。
北摂の歴史から、私たちの住むまちの魅力を学び知る機会になればと思います。
第16回は『豊中の子ども文庫』について関西大学の学生がレポートします。

異彩を放つ豊中の子供文庫


戦後の大阪北部の教育史をみるとき、豊中市などの「子ども文庫」活動は異彩を放っている。活字離れしている、といわれて久しい現在から振り返ると、実にまぶしい光景だったが、一部は今も地域で引き継がれている。地域のお母さんたちが中心になって自宅を開放するなどし、子どもたちに多様な本を提供したり、読み聞かせたり。そうした子どもたちのための自由闊達な読書運動をたどると、明治末にまでさかのぼる。

歴史案内人

関西大学文学部深井麗雄教室の2年、3年次生4人が豊中市のそよ風文庫などを取材しました。




子供文庫の誕生


 戦後日本の学校教育は、敗戦直後の経済復興から昭和30年代に始まる高度済成長という経済の動き、国による教育管理の強化や「60年安保」に代表される政治的な動きのなかで、木の葉のように揺れ続けた。そんな中、1960年代末から全国各地で、子どものための文庫活動が自然発生的に生まれ、広がっていった。主役はお母さんたちだった。
 一方、豊中市は1960年ごろから大阪の代表的なベッドタウンとして、サラリーマン層を中心に人口が増え続けたが、社会資本の整備は追いつかず、子どもたちのための公園や図書館などの不足が常に指摘されていた。そこで豊中でも団地の一隅で、文庫や読書会が生まれ始めた。豊中の代表的な子ども文庫「そよ風文庫」の創設者、安達みのりさん( 豊中市本町在住)が、結婚してこの町に住み始めたのもこのころである。

アーカイブス1607_1

子ども文庫発足当初の様子以下の子ども文庫の写真は安達みのりさん提供

アーカイブス1607_2

赤ん坊から本に触れることができる



民家の一室


 安達さんによると「私たち戦中世代は、なければ自分でつくる」という意識が強く、それが子育てにも現れていたという。1969年に「母と子の読書会」をつくった。このころ豊中には図書館が1館しかなく、子どもたちが身近に本にふれることが困難だった。多くの子どもに本を読んでほしいと願う母親が集まり1973年6月
2日、民家の一室でそよ風文庫は生まれた。


アーカイブス1607_3

お話会に訪れる子ども

アーカイブス1607_4

子ども文庫で折り紙で遊ぶ子どもたち




400人の子供

 文庫に登録している子どもは400人にのぼった。たとえば土曜日の昼下がり。そよ風文庫を開いている家の前には小学生の自転車があふれた。一日で250人もの子どもがやってくるのだ。子どもたちの年齢は様々。部屋の隅っこであやとりをしている女の子たち、黙々と本を読みふける子など、していることはばらばらだが全ての子どもたちが「自分はここにいてもいいと思える居場所」となっていた。
 安達さんたちの取り組みは学校図書館の充実などにも及んだ。幾度となく、市との話し合いの結果、全学校の図書館に司書の配置が決まった。その後子どもを取り巻く状況の変化に応じ、豊中市と市民の協動による「子ども読書活動推進計画」を実施した。子どもが暮らすすべての施設で本を手に取ることができるようにした。このため文庫に来る子どもの低年齢化が進んでいる。こうして現在も10を超える文庫が、図書館づくりや、子どものいる施設や機関での読み聞かせまで、豊中じゅうの子どもたちが読書を楽しめるよう、今も活動を続ける。

アーカイブス1607_7

そよ風文庫の入り口

アーカイブス1607_6

子ども文庫での七夕まつり



アーカイブス1607_5

ものづくりに励む子ども

アーカイブス1607_8

手作りシャボン玉



多様な広がり


 豊中では子ども文庫に参加した市民が、その活動を通じて他の様々な分野の市民運動にも参加しているのが特徴だ。たとえば文庫の世話人として活動している田坂百合子さんは、「国際交流の会とよなか(TIFA)」の会員としても活動している。地元の図書館で行われていたフリー写真家、長倉洋海さんの写真展で、1枚
の少女の写真に出会い、衝撃を受けた。紛争に苦しみ、とても子どもとは思えないその表情を見て、世界にも目を向けなければいけない、と痛感したという。その後TIFAの代表、葛西芙紗さんと出会い、多文化共生社会を目指して海外での子どもや女性のサポートや、在日外国人支援を行なっている。

アーカイブス1607_10

TIFAの活動の1コマ

アーカイブス1607_11

TIFAが行ったネパール・ドダウリ村の女性支援活動でのミシン教室


アーカイブス1607_9

子ども文庫で科学遊びをした際の実験中




大阪お伽倶楽部


 豊中の子ども文庫の歴史を見ると、その規模や広がりは大阪でも群を抜いているが、北摂各地の同様の運動をたどっていくと明治末の「大阪お伽倶楽部」や大正末の箕面村の「教育中心主義」にたどりつく。この倶楽部は明治40年に大阪日報記者であった高尾亮雄などによって設立された。箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)の箕面駅近くのカフェパウリスタがあった洋館に事務所を構えた時期もある。箕面近辺で子どもたちに童話の読み聞かせをしたほか、模型飛行機倶楽部の創立や、箕面山林こども博覧会を開催したりもした。また箕面村では大正12年
に教育や文化に関するビジョンを作り、学校の講堂での児童文庫の開催や巡回文庫の設置などを盛り込んだ。

アーカイブス1607_13

こども博覧会の案内図(松崎貴之氏所蔵資料)

アーカイブス1607_12

山林こども博覧会の宣伝用チラシ(箕面行政史料ー個人寄託)



取材を終えて

 豊中市の子ども文庫についてそよ風文庫を作った安達みのりさんの話を聴いて驚いたのは、安達さんを筆頭として当時手弁当でこの活動に参加したお母さんたちの柔軟な発想と役所をも動かす実行力でした。子ども文庫の本の前でハイハイする赤ちゃんの写真もほほえましいですし、文庫で理科の実験までやっていたのも驚きです。私たちも頑張らなければ、と強く思いました。
関西大学 八尋佐聖、小林春奈、竹嶋美知瑠、石水ひかる



この記事を書いた人:

シティライフ編集部
北摂・阪神の地域情報紙『シティライフ』の編集部です。 市民記者の皆様と一緒に、地域密着の情報をお届けします。

HP: http://citylife-new.com/


http://citylife-new.com/archive/41154.html