創刊30周年記念シティライフアーカイブス 毎日放送 千里丘放送センター


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毎日放送 千里丘センター

-昭和の人気番組とレジャー施設-

現在、そして未来にもつながる過去の情報を取材、編集し、記録する特集です。北摂の歴史から、私たちの住むまちの魅力を学び知る機会になればと思います。第17回は、毎日放送の千里丘放送センターについて、髙島一康さんにお話をお聞きしました。

歴史案内人

profile

取材協力 髙島 一康さん

昭和54年、㈱毎日放送に入社。千里丘放送センターのテレビ放送部勤務を経て、平成23年から3年間はミリカスポーツ振興に出向。平成26年よりシニアスタッフとして総務部で社史の編纂に従事している。

写真提供 : 毎日放送、ミリカスポーツ




梅田から千里丘へ

1951(昭和26)年、大阪と名古屋で初の民間放送が開局。大阪は現在の毎日放送の前身である「新日本放送(NJB)」であった。「NJBは阪急と関係が深かったので、当初のスタジオは梅田の阪急百貨店の屋上にありました。〝ハト小屋〞と呼ばれるほどの小さなスタジオで、ラジオ放送が始まり、その後テレビの開局に伴い、現在の堂島アバンザの位置にあった毎日大阪会館にテレビスタジオを建設しました」と髙島さん。
しかし、1956年、当時の専務・高橋信三氏がアメリカの放送局を視察し、敷地の広いスタジオに感銘を受ける。梅田と堂島、狭く分散されたスタジオをひとつに統合するため、郊外への移転が計画される。そこで候補地となったのが、万博開催地として内定していた千里丘陵であった。梅田から車で30分ほどで、国鉄(現在のJR)千里丘駅に近い交通至便な場所が選ばれた。1958年には新日本放送株式会社から、株式会社毎日放送に社名を変更し、開局10周年の1961(昭和36)年に、緑豊かな千里丘に近代的な「千里丘放送センター」が華々しく開館した。

WE9月_アーカイブMBS千里丘空撮カラー

1970年頃の千里丘放送センター。建物の向こうには、当時開催中だった「日本万国博覧会(大阪万博)」のお祭り広場の屋根から突き出た太陽の塔が見える。土地面積6万坪以上、梅田から車で30分圏内。1961年の開局当時は見渡す限り何もなく、生駒山まで電波が飛ばせる小高い丘は、放送局として絶好のロケーションだった。


 

人気番組の公開収録

1960年代から千里丘放送センターでは、広いスタジオやホールを使用して視聴者参加型のテレビ番組を次々と制作してきた。「当時は一社提供の番組が多く、〝アップダウンクイズ〞はロート製薬の単独提供、日本航空の協賛で放送されていました。だからクイズ優勝者(ハワイ旅行獲得)は、10段目のゴンドラからタラップで客室乗務員にレイをかけてもらって祝福されながら降りて来るという演出でした」と髙島さん。
また、テレビ時代の中でラジオの生き残りをかけ、「ながら族」と呼ばれる受験生をターゲットとした深夜のラジオ番組が各局で次々に始まる。「毎日放送では、1967年に公開収録のラジオ番組〝歌え!MBSヤングタウン〞の放送がスタート。スタジオには毎日、〝ヤンタン〞に学校帰りの高校生がつめかけていました」と髙島さん。
また1 9 6 9 年には、敷地内に公開収録用の「ミリカホール」が竣工。ここでは後年、「あどりぶランド」や「痛快! 明石家電視台」といった人気番組が収録されていった。

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22年間続いた「アップダウンクイズ」。


 

地域貢献の一環としてミリカスポーツを開業

千里丘放送センターは、周辺の山林を含めるとその敷地は6万坪以上あったという。その土地を有効活用して、地域の人々の余暇に貢献しようと、1970年に、スポーツ・娯楽施設が集まる〝MBSミリカスポーツ〞をオープンさせた。
「まず最初に開業したのが当時、一大ブームが起こっていたボウリングの〝MBSミリカレーンズ〞でした。オープンの翌年(1971年)には32レーンをさらに20レーン増築し、52レーンに。ここでは全日本選手権も行われ、多くのプロやアマチュア選手がプレーしたそうです」と髙島さん。
次に出来たのが〝ミリカプール〞。当時ではめずらしかった造波プールや丘陵地の高低差を生かした45メートルのスライダーが人気を呼び、北摂を中心に多くの人たちで賑わった。また、夏期営業のプールは冬になるとスケートリンクになったという。他にもゴルフ練習場(現在も営業中)、テニスクラブ、ゴルフのパターランドがあり、人気を博していた。
しかし、1976年にはボウリングブームの下火によって〝ミリカレーンズ〞の営業が終了。その跡地には民放初の放送文化館が開館した。館内には、放送文化の歴史を物語る資料や機器、テレビドラマセットなどが展示され、地域の人に開放されていた。
また放送センター敷地内の野球場でボーリング調査を行った際、温泉が湧き出したことから1995年に「ミリカ天然温泉 千里の湯」がオープン。また春になると桜の美しい敷地を地域住民に開放して「観桜会」を行い、露店が立ち並ぶ広い敷地に約6000人が訪れたという。

WE9月_アーカイブMBS千里丘空撮カラー

左上からテニスクラブ、駐車場の奥が放送文化館(旧ボウリング場)、坂を上がったところ(右上)が千里丘放送センター、手前がミリカプールで、その左横がゴルフ練習場。


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「ミリカレーンズ」は「放送文化館」へ


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ミリカプールは冬期はスケートリンクに。


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ミリカ天然温泉「千里の湯」と「千里亭」


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テニスコート横にあったパターランド。


長年、人々に愛されてきた施設だが、1990年代後半からは徐々に営業が終了し、2007年にはミリカプールも閉鎖となったが、ゴルフ練習場は現在も運営しており、多くのゴルフファンで賑わっている。
なお、「ミリカ」の名は、放送センター建設前の丘に立っていた一本のヤマモモの木(学術名:ミリカ)に由来している。
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春には、放送センターの敷地内を開放して「観桜会」が開催され、地域住民がお花見を楽しんでいた。


 

本社は茶屋町への移転 千里丘の新たなる役目



万博以降、ベッドタウンとなった千里丘に漂うのんびりとした空気に、情報の最前線にあるべきマスコミとしての危機感が募り、開館から18年後の1979年、当時の社長が大阪市内への回帰を表明するにいたった。
そして1990年、梅田・茶屋町にテレビスタジオをはじめ、本社の移転が完了する。移転後も千里丘スタジオではラジオの公開イベントなどが行われていたが、2008年1月31日、全照明が落とされ、同センターはその役目を終えた。
しかし現在も千里丘には放送施設が残されており、この2016年9月で開局65周年を迎える毎日放送(MBS)で過去に放送された貴重な映像資料などが次世代へ引き継がれている。

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後継の放送施設として、現在も所在する「千里丘ミリカセンター」。番組の映像・音源・セットなどが保管されている



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JR千里丘駅と毎日放送千里丘放送センターの位置関係。跡地には現在、マンションの「ミリカヒルズ」が建っている。(吹田市千里丘北1-1)


 

取材を終えて

シティライフ編集部の最寄り駅も千里丘放送センターと同じJR千里丘。1992年頃、よく月曜日になると、駅の西口でシャトルバスを待つたくさんの若者の姿を見かけました。まだ千里丘のスタジオで収録されていた「痛快! 明石家電視台」に参加する人たちで、みんな笑顔で楽しそうだったのを覚えています。また駅からすぐのスーパーでドラマの撮影をしているのも見かけたことがあり、放送局がすぐ近くにあるということを肌で感じながら暮らしてきました。社内の花見で「観桜会」に参加したり「千里の湯」もよく利用していました。地元住民は〝ミリカ〟の名を聞くと楽しかった思い出がよみがえります。
シティライフ編集部 松本佐知代

 


この記事を書いた人:

シティライフ編集部
北摂・阪神の地域情報紙『シティライフ』の編集部です。 市民記者の皆様と一緒に、地域密着の情報をお届けします。

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