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国際文化公園都市 彩都


現在、そして未来にもつながる過去の情報を取材、編集し、記録する特集です。北摂の歴史から、私たちの住むまちの魅力を学び知る機会になればと思います。第21回は「彩都」について紹介します。

歴史案内人

取材協力 中村篤郎さん

1939年大阪生まれ。63年京阪神急行電鉄株式会社入社(現阪急電鉄㈱)。阪急電鉄株式会社元取締役。元阪急不動産顧問。阪急沿線の戸建住宅及び集合住宅、D.D.House、宝塚大劇場、ホテル阪急インターナショナル等の企画・設計・工事監理に携わる。




彩都のはじまり

 1964年、当時の大阪府知事と阪急電鉄のトップが会談して、大阪府に万博を誘致することに合意した。万博開催用地の約4分の1は、阪急が所有していた山田地区であったため、府は阪急からその土地を購入した。阪急はその土地の売却費を活用して、共有林だった立会山・佐保経営地を購入し、後に彩都となるニュータウン建設のための計画検討を開始した。茨木市、箕面市にまたがる広大な土地の都市化は、阪急にとって初めての大規模開発で、重要な資産であった。

2000年頃の彩都西部地区。造成工事後、区画されたばかりの空撮写真。




1994年9月、財団法人大阪府埋蔵文化
財協会による発掘調査が始まる。



 

計画

 万博誘致への熱気が高まりつつあった1960年代の千里は、ニュータウンの開発もあり、鉄道網の整備が進んでいた。万博の来場者の輸送力を確保するため、大阪府は御堂筋線を北進させ、千里中央で右折して万博メイン広場へ誘導する計画を提案。しかし当時阪急は、千里山駅までだった千里線を新千里山駅(現在の南千里駅)に延長したのち、箕面線の桜井駅とを結びループさせるという宝塚線の輸送力緩和のため計画検討をしていた。双方の計画が実現すれば、御堂筋線と阪急線とが接近することになる。阪急は万博誘致に協力した経緯もあり、大阪府の要望に応える形で府の案を受け入れ、当初の計画の代わりに千里線を東にふってサブ的に万博大量輸送の一翼を担うことになった。そして1967年、新千里山|北千里山(現在の北千里駅)への新線が敷設された。北千里山駅には、ニュータウンにふさわしい近代的な機能を持たせようと全国初の自動改札を導入。券売機や両替機なども設置され、新聞報道で全国から見学者が集まった。

 この頃すでに、北千里山からさらに北へ路線を延伸し、阪急の既開発地等を経由して彩都までを結ぶ計画があった。しかし、大阪府がモノレールの建設を提案。鉄道の延伸とは異なり、モノレールなら用地買収が必要なく、費用も安く収まるため、阪急は社内の意見を調整し、大阪府の提案に同意した。こうして2007年に大阪モノレールが彩都線開通。現在、彩都に住む人々の生活を支える重要な路線となっている。



 

開発の凍結

 万国博覧会が開催された1970年、都市計画法が改正。大阪府の開発抑制方針により、阪急が取得した彩都の土地は市街化調整区域に編入され、開発は事実上凍結状態に置かれた。

 

国際文化公園都市構想を彩都の地に

 しかし万博終了後、千里中央を含む北摂地域の道路網の整備や都市施設の充実により、千里のポテンシャルが急速に上昇。そんな折、国立民俗学博物館の梅棹忠夫館長(当時)が「千里の豊かな自然を背景にした国際文化都市の実現を期待する」とのビジョンを発表した。東京への一極集中や関西経済の低迷が指摘されていたことから、大阪府はこの構想を原点に1982年、府総合計画の中で北大阪地域を「国際文化ゾーン」と位置づけた。茨木市、箕面市や彩都に土地を所有する企業もこれに賛同し、1986年、府は官民協同で彩都の地に国際交流の拠点となる文化・学術・居住機能を兼ね備えた都市づくりを行う「国際文化公園都市構想」を発表した。

 

国際文化公園都市実現に向けて開発事業を着手

 阪急は、彩都の開発が関西の経済活性化の起爆剤になると考え、この構想に呼応し、行動を開始した。1986年11月には、阪急を含む民間企業7 社と大阪府、茨木市、箕面市、住宅・都市整備公団(現・都市再生機構)からなる「国際文化公園都市建設協議会」が発足。国際交流、バイオテクノロジー研究開発など複合的な先進機能が集結する都市づくりの方向性が提唱された。1992年5月に都市計画案が地方審議会で承認され、計画地域の742haは市街化調整区域から市街化を促進する市街化区域に編入。1994年8月、建設大臣の特定土地区画整理事業認可を受け、凍結されていた開発が再び動き出した。

2016年11月の彩都西部地区の空撮写真。


農協筍缶詰工場北大阪農協本部建築中s29

農協筍缶詰工場北大阪農協本部建築中 昭和29年



 

レッチワース

 阪急は、5万人都市を目指す彩都のまちづくりに多大な時間を費やした。阪急は、彩都の造成地だけではなく、その周辺地域をもくまなく歩き、彩都のあり方を考えた。そして、ロンドン郊外の田園都市レッチワースを範とするまちづくりに行き着いた。阪急の創始者小林一三翁も、阪急が開業時に分譲した池田室町住宅地にその考え方、ソフトを実行し販売した。それから100年、彩都も原点に帰ろうとコミュニティの醸成を育むことを大切に、自然や人々が紡いできた歴史に敬意を払い、地域社会と連携しながら住民参加で進めるまちづくりを基本とした。それは、阪急の100年の歴史を土台とする新しい都市だった。


 

彩都の発展

 2004年4月、いよいよ彩都がまちびらきした。阪急不動産を中心として大規模マンションや戸建て住宅が続々と分譲され、住民の入居も順調に推移した。2007年には大阪モノレール彩都線「彩都西」駅が開業。以降、学校や公園、さまざまな店舗も次々とオープンし、暮らし心地も向上していった。自然環境を保全していく活動や学びの場も、地元農家や教育機関、周辺施設との協業で活発に行われている。2016年には彩都西部地区と箕面市街地方面がつながる彩都トンネルが開通し、現在も発展し続けている。


 

取材を終えて

 1960年代、日本が劇的に変化を遂げる時代に彩都の計画が始まりました。日本万国博覧会、千里ニュータウン、箕面森町の計画も同じころです。そして阪急電鉄の延伸などの交通のインフラ整備も急速に進み、今日の北摂の基盤ができた時代です。今年は新名神高速道路の北摂区間の開通。彩都は茨木のICのすぐ近くです。これも見据えての開発だったのでしょうか。北摂の先輩たちの先見の明に、改めて敬服の念を抱く取材でした。
シティライフ編集部 尾浴芳久


この記事を書いた人:

シティライフ編集部
北摂・阪神の地域情報紙『シティライフ』の編集部です。 市民記者の皆様と一緒に、地域密着の情報をお届けします。

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