シティライフアーカイブス 池田で見つかった日本画10枚


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小さな茶室から見える、江戸~明治の歴史と文化

現在、そして未来にもつながる過去の情報を取材、編集し、記録する特集です。北摂の歴史から、私たちの住むまちの魅力を学び知る機会になればと思います。第24回は「池田で見つかった日本画10枚」について紹介します。

歴史案内人


関西大学文学部三回生の二宮愛さんと大和大学政治経済学部二回生の大倉聖樹さんが日本画の寄贈者や寄贈先の歴史民俗資料館らを取材しました。

 

池田市の民家の物置から、古い日本画10枚が見つかった。その一家は、200年以上前から明治半ばまで池田市の呉服橋のたもとで茶店を営んでいた。日本画は茶店の繁盛ぶりを伝える現代のポスターのようなもので、描かれた客たちの髪型の変化などから江戸後期から明治前期にかけての時代の変遷や当時の文化がうかがえる。

日本画の広告ポスター

見つかったのは関大職員、荒堀善文さんの池田市内にある実家。絵はいずれもカラーで、縦横30センチ前後のものだ。絵には猪名川にかかる呉服橋のたもとにあった茶店「渋や」に出入りする人たちの様子が描かれていた。当時の有名な相撲取り〝猪名川〞関も再三登場し、客寄せの広告ポスターとして店内に飾られていたとみられる。

茶店でくつろぐ客と、店の
前を歩く猪名川関ら



橋の欄干にもたれてくつろぐ人たち




 

呉服橋界隈の歴史

 呉服橋は明治11年までは「巡礼橋」と言われていた。天正7 年(1579年)伊丹城城主荒木村重の従弟村正が、池田城を織田信長に攻められ伊丹城へ逃げる際、池田城とともに巡礼橋は焼き落された。その以降架橋はされず、渡し舟であった。
 
しかし文化12年( 1 8 4 5 年)に荒木茂兵衛が発起人となり新しい「巡礼橋」が架けられた。その後、明治11年(1878年)に「呉服橋」と改められた。橋のたもとは、現在の国道176号が昭和の初めに開通するまで、能勢方面に向かう旧街道と川西や伊丹方面に向かう道路が交差し、人の往来で様々な商店や芝居小屋「呉服座」が繁盛した。劇場は明治の初頭、現在の阪急池田駅の近くに建てられたが明治25年(1892年)に呉服橋の下流100㍍ほどの地点に移された。仕事の合間に芸人がぶらぶら歩いて2,3分の茶店「渋や」を頻繁に訪れた。
 
この芝居小屋が興味深いのは、公民館のような機能も兼ね備えていた点だ。選挙演説も行われ、荒畑寒村や幸徳秋水らが熱弁をふるったと伝えられる。昭和46年(1971年)に愛知県の明治村に移設され、その後、国の重要文化財に指定された。

「巡礼橋」から「呉服橋」に改称(朱書き)



 

描かれた時代の変化

 日本画は1 枚ものと、3枚続きが3セットあり、本来は3枚続きの作品が4種類あったとおもわれる。描かれた場所や構図はすべて同じだが、4種類とも時期が異なっていた。そのため、当時の流行りや情景が細かく描かれており、時代の移り変わりを物語っていた。例えば男性の髪型。丁髷だったのが断髪に変わる。橋の名前も「巡礼橋」から「呉服橋」に変わる、江戸時代後期に流行った長い前掛けの売り子がいるかと思えば、明治初頭の警察官がさっそうと登場する。

店の前では洋装の警官らしき男性も



帽子姿の男性や氷売りが店前を行き交う



橋のたもとに人力車も登場



 

力士猪名川

 4種類の絵は時代背景が違うのに、共通して描かれている人物がいる。浴衣姿の力士だ。力士が手にした扇子や着ている浴衣には「猪名川」と書かれている。これはどうやら大阪の人気力士猪名川関のことらしい。初代猪名川政右衛門は池田出身の力士だ。宝暦5 年( 1 7 5 5 )に藤島部屋に入門し初土俵を踏んだ。関取千田川との取組で人気があり、札止めになるほどだったという。猪名川は歌舞伎、浄瑠璃「関取千両幟」の主役として登場する。「関取千両幟」は猪名川と千田川とをモデルにした作品で、現在では二段目「稲川内」が上演されている。

にぎわう店内と行きかう行商人ら



甘酒でご機嫌の客たち



ここでも猪名川関が登場する



店の前には兵隊のような洋装の男性が登場する



 

現在の呉服橋

 茶店「渋や」があった場所には今は何の痕跡もなく、店があったであろう場所の目の前には国道176号が通っている。呉服橋を取り囲む環境も江戸時代から大きく変化した。「巡礼橋」の名が現在の「呉服橋」へ。そして猪名川の上を巨大な阪神高速道路がまたいで併走する。「渋や」と同じく軒を連ねていた商店も、今はない。

日本画と同じ方向から撮影した「渋や」跡地



現在の呉服橋



現在の呉服橋の名前が刻まれた石版



 

取材を終えて

 歴史の表面には決して登場しない1世紀以上前の小さな茶店。それでも人々はそこで仕事の合間に一服し、橋の欄干にもたれて川風になぶられ、甘酒を飲んでご機嫌になり、その間を相撲取りが闊歩した。そんな当時の様子を、10枚の日本画が生き生きと映し出している。古色蒼然たる日本画も貴重なメデイアなのだと、初めて気づいた。
関西大学文学部三回生 二宮愛 ・ 大和大学政治経済学部二回生 大倉聖樹


この記事を書いた人:

シティライフ編集部
北摂・阪神の地域情報紙『シティライフ』の編集部です。 市民記者の皆様と一緒に、地域密着の情報をお届けします。

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