シティライフアーカイブス 600年前の城と昭和モダンの不思議な緑


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曽根の原田城跡でのNPO活動


現在、そして未来にもつながる過去の情報を取材、編集し、記録する特集です。北摂の歴史から、私たちの住むまちの魅力を学び知る機会になればと思います。第22回は「600年前の城と昭和モダンの不思議な縁」について紹介します。

歴史案内人

取材協力 深井 麗雄さん

元毎日新聞編集局長で関西大学文学部非常勤講師の深井さんが2年生の西田志保美さんらと一緒に城跡地の周辺を取材しました。



豊中市の南部の小さな丘に、約600年前の小さな城跡が残っているのを知っている人は少ない。明治以降の住宅開発に飲み込まれてもおかしくないのに、平成の世まで生き延び、今も約100人の市民が多彩な文化活動を展開しているのは、昭和初期に建てられたモダンな屋敷がその拠点になっているからだ。その背景には小林一三が北摂で展開した独創的な住宅政策がある。

住宅街に戦国の跡

 阪急宝塚線の曽根駅から西に商店街をぶらぶら歩く。理髪店やカフェ、居酒屋に昔からの料理屋などがとぎれると、小洒落た戸建てや低層マンションが並ぶ落ち着いた住宅街に入る。そこをさらに西へたどると、うっそうとした緑に囲まれた高台にでる。階段の下から見上げると和風の風情のある門が見える。これが原田城跡(北城)に建つ羽室家住宅だ。

原田小学校付近から原田城を見る(明治時代)(豊中市提供)




土塁上から見た伊丹方面(明治時代)(豊中市提供)




羽室住宅の庭園の外側にこんもりと盛り上がった部分が原田城跡の土塁




低層マンションと隣接する原田城跡(左側の植木部分)



 

江戸期の廃城と宝塚線

 この住宅を管理するNPO法人「とよなか・歴史と文化の会」の代表理事、吉岡正起氏や豊中市教育委員会の資料などによると、ここに城(北城)が築かれたのは、13世紀後半から14世紀初め。一帯に勢力を張った原田氏は15世紀中ごろには土豪の一人として周辺を支配し、戦乱の世を生き抜いていった。
 
北城の位置はちょうど豊中台地の南西端で、ここから南西に広がる平野部を一望できた。城域は南北140m、東西120mで外堀を掘り、その土をさらに台地に積み上げたと見られる。域内には高さ2メートル前後、幅5〜10mの土塁と見られる跡が残っている。
 
16世紀半ばには細川家の内紛に巻き込まれて北城は落城し、そこから300mほど南の南城を中心に原田氏は活動を続けた。時代は移り、江戸期は地元の庄屋が所有していたが、明治43年、箕面有馬電気軌道(現阪急宝塚線)が開通した。小さな城跡は新しい歴史の歯車によって、意外な回転を始めた。

和風で風情のある羽室住宅の正門




羽室住宅の本格的な座敷



 

小林一三と松籟園

 城跡がベッドタウンに変わったのだ。箕面有馬電気軌道開通以降で目立つのは、阪急グループの創設者、小林一三の独創的な事業展開だった。鉄道事業と沿線の住宅開発、豊中運動場に代表されるスポーツや宝塚歌劇のような文化事業の3点セットをたくみに組み合わせた。住宅開発は沿線の優雅な田園地帯を舞台に瀟洒な住宅を建設し、大阪都心部で増えつつあった会社員らにベッドタウンを提供した格好だ。箕面の桜ケ丘、池田や岡町の住宅地。そのひとつが曽根駅の西側に広がった松籟園住宅だった。


 

ガス燈に暖炉

北城の跡地の一部を含む松籟園住宅の敷地に、昭和12年(1937年)住友化学工業の役員だった羽室廣一(ひろかず)氏が個人住宅を建てた。約3000㎡の敷地に延べ460㎡の瀟洒な木造2階建てで、和洋折衷の建物だ。
 
外観は瓦葺で数奇屋風の離れなど和風だが、内部は和風の座敷などのほかは、かなり洋風のデザインや器具を取り入れている。一階のアール・デコ風の暖炉がついた応接間の外側には、当時では珍しいサンルームが設けられている。また食堂にはガス燈まで備えている。二階にもバルコニーが配置され、全体としていかにも「昭和モダン」を彷彿とさせる建築物だ。

食堂のガス燈を指差す吉岡さん




羽室住宅の全景




 

城跡と住宅保存

 北城は昭和38年(1963年)に当時の豊中市文化財保護規則によって市史跡に指定され、昭和62年(1987年)に条例施行に伴って改めて再指定された。一方、羽室家住宅もその後、べつの事業家に渡ったあと豊中市に寄贈され、平成19年(2007年)に国の登録有形文化財に指定された。ここでNPO法人が登場し、歴史の歯車は現代の風に乗って一気に加速する。

洒落た洋風の食堂


 

多彩な活動

 NPOが登場したのは、市が施設の管理を市民に任せようとしたからだった。豊中市の
「歴史と文化」を市民と共有しようという姿勢の表れだ。
 
おまけにこのNPOの活動は、住宅の管理や市民への説明のほか、かなり多彩に広がっている。城跡という歴史遺産を背景にした「古文書講座」などのほか、子どもたち向けの「おもちゃづくり」、「ミニコンサート」や「豊中まち案内人」の15人が市民らを各地に
案内する活動など、豊中の文化全般を対象にしようとしている。

 だから会員も単に「城好き」の人たちだけではなく、様々な活動を担う約100人が会員登録している。来場者は2年前に1万人に到達し、現在年間3000人ほどが訪れる。子どもたちや高校生とも協力して、市内の能勢街道沿いを舞台にした「すごろく」や「まちあるきマップ」なども制作し、その活動はさらに広がりそうだ。

小さな子どもたちは、ひな祭りイベントに大喜び(羽室住宅で、吉岡さん提供)




イベントにはラテンハープまで登場(開館7周年のオータムフエスタで。吉岡さん提供)




高齢者とこどもたちの、折り紙の集い(吉岡さん提供)




 

取材を終えて

 単なる城跡管理と資料館的建物と考えていたが、取材して市民の活動の広がりに驚いた。おまけに昭和モダンな建物は、その源流をたどると小林一三の独特な私鉄経営が背景にあることがわかり、歴史上の「偶然と必然」に気づきました。
シティライフ編集部 尾浴芳久


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シティライフ編集部
北摂・阪神の地域情報紙『シティライフ』の編集部です。 市民記者の皆様と一緒に、地域密着の情報をお届けします。

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