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【シティライフアーカイブス】六甲山の開祖 英国人アーサー・ヘスケス・グルーム氏[1846.9.23-1918.1.9]

2019.09.02

国立公園として人々に親しまれている六甲山。遊園地や牧場、ハイキングコースもあり、レクリエーションや観光地として発展した六甲山の開発の歴史は、明治期、神戸港開港を機に来神した英国人貿易商アーサー・ヘスケス・グルーム氏がきっかけであった。

グルーム像

 長崎グラバー商会をトーマス・グラバーと共同経営していた兄フランクを頼って来日していたグルーム氏は、1868年4月、支店を開設するため神戸へ。当時開港間もなかった神戸は、居留地の造成も遅れていたため、グルーム氏は神戸元町にある善照寺に下宿。住職に気に入られ、彼の紹介で大阪玉造の士族の娘宮崎直さんと結婚、15人の子どもをもうけた。1871年、グラバー商会をやめ、外国人居留地101番で、モーリヤン・ハイマン商会を設立。日本茶を輸出し、セイロン紅茶を輸入する貿易商を始める。

 1895年、グルーム氏は三国池近くの土地を借り受け、別荘を建てた。これが六甲山上に最初に建てられた家だ。建物は現存していないが、グルーム氏の日本趣味を活かした和洋折衷のつくりで、客室や召使部屋、さらに図書館も完備。三国池を取り込んだ庭を作り、周囲に植栽を配し小道を作って白砂を撒いていた。

 ビジネスやスポーツで親交のあった友人を招き、眺望も素晴らしく神戸の市街地に比べ10度ほど気温の低い避暑地として魅力を広めた。そして六甲山上に良さそうな土地を見つけては自然に配慮しながら別荘を建て、友人たちに分譲し、別荘地一帯は「神戸外国人村」と呼ばれるように。建設された別荘は約60戸、住人の外国人は100人を超えたという記録も。グルーム氏は別荘地の土地貸借や必要な食糧調達など、当時の村の経済にも大きく貢献。また当時伐採によって禿山と化していた六甲山に、私財を投じて植樹や登山道を整備た。山へは徒歩以外に駕籠(かご)を使うことができたが、駕籠屋にも日当やチップを払い、山道の整備をさせていた。

グルーム氏が六甲山に建てた山荘(提供:神戸ゴルフ倶楽部)

砂を固めたサンドグリーンのコースとクラブハウス右端がグルーム氏(提供:神戸ゴルフ倶楽部)

 また、グルーム氏は日本にまだなかったゴルフコースを初めて六甲山上に作ったことでも知られている。コースはすべて人の手によって作られ、作業は雑草や竹、大きな岩相手の重労働だった。3年ほどかけて作った最初のコースは4ホールのみ。さらに2年を費やし、1903年に全9ホールの「神戸ゴルフ倶楽部」を創設。(1904年に18ホールとなる)この日本初のゴルフ場へは横浜や長崎に住む外国人や上海、香港からも避暑を兼ねて訪れたという。

2019年6月23日に開催された六甲山グルーム祭の様子(六甲記念碑台にて)

 夏は登山やゴルフ、冬にはスキー、スケートを楽しみ、別荘をもった外国人の山上でのレクリエーションを神戸・岩屋に住む日本人企業家たちが真似をしたことから、その後企業による開発もすすみ、観光地として発展するきっかけとなった。六甲山ではアーサー・ヘスケス・グルーム氏の功績を称えるとともに、夏山シーズン中の安全を祈願して毎年「六甲山グルーム祭」を開催している。

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