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CULTUREコラムVOL.2 梅花から「令和」を込めて「三島江の薦に寄せる思い」

2019.10.01

奈良を都とした時代に、険しい葛城山や信貴山、生駒山等を越えないで枚方市へとまわり、淀川を船で高槻市へと渡る山陽道がありました。陸路として九州への往来が可能な道です。時代が下ると京都から続く西国街道とも呼ばれました。この道筋に残された歌として『万葉集』には、巻七の「譬喩歌」部に「草に寄する」と題して、

との歌が記されています。三島江は、高槻市南部から摂津市にかけての淀川右岸を指します。川辺に生えている薦は、「薦畳」(巻十六・三八四三番歌)との表現から敷物が編まれていました。また巻七の「挽歌」部に記された、

に目を向けると、薦で作った枕を一緒にした彼女が(生きて)いたなら、夜が更けてゆくのを私は惜しみもするのだが(そんな気持ちにもなれない)と、読んでしまうと切なくなりますが、薦が生活の中に枕として使用されていたことが知られます。さて、一三四八番歌の作者が、「三島江の立派な入江に生えている薦に標を張った時から私のものだと思っています、まだ刈っていませんが」なんて内容をわざわざ歌にして詠んだのは、暮らしに欠かせない身近な薦に好きな女性を譬えて、プロポーズする意志のあることを周囲にアピールするためでした。誰も手を出すなと。果たして彼は、思う人に告白することができたのでしょうか。

 

梅花女子大学教授 市瀬 雅之

現代訳から原文までを用いて『万葉集』に文学を楽しむほか、『古事記』や『日本書紀』等に日本神話や説話、古代史をわかりやすく読み解く。中京大学大学院修了 博士(文学)。著書に『大伴家持論 文学と氏族伝統一』おうふう 1997年、『万葉集編纂論』おうふう2007年、『北大阪に眠る古代天皇と貴族たち 記紀万葉の歴史と文学』梅花学園生涯学習センター公開講座ブックレット 2010年。ほか執筆・講演・講座多数

 

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