CULTUREコラムVOL.28 梅花から「令和」を込めて
2022.01.27
春の食材とコミュニケーション
万葉の時代から今日まで、日本人に食べ続けられてきたもののひとつにセリ(芹)があります。「セリ」と聞いて、春の七草を思い出される方も多いのではないでしょうか。
『万葉集』巻二十には、天平元年(729)のこと、班田(はんでん)の任にあった葛城王(かつらぎのおおきみ)という人が、セリの包みに添えて、薩妙観命婦(さつのみょうかんみょうぶ)等に次の歌を送ったと記されています。
あかねさす昼は田賜(たた)びてぬばたまの
夜の暇(いとま)に摘める芹(せり)これ
安可祢左須 比流波多〃婢弖
奴婆多麻乃 欲流乃伊刀末仁
都賣流芹子許礼
(巻20・4455番歌)
「茜色のような昼間は(慌ただしく)班田に追われ(ながらも)、ぬばたまのような暗闇の夜に時間を見つけて摘んだセリですよ、これは」と。「あかねさす」も「ぬばたまの」も、昼夜を色で表す枕詞です。班田は、公民に田を分け与え租税を徴収する制度。任命された官人等は、田の広さを測量し、帳簿を整理し、住民と折衝したりと多忙を極めました。『万葉集』の巻三には、その過酷さから自殺に追い込まれた者を悼む歌が残されています。11月1日から翌年の2月末まで行われたようです(『続日本紀』)。葛城王は仕事に忙殺されながらも、あなたのために夜の寸暇を惜しんで摘んだセリですよと、自身の想いの深さをアピールしています。
こうした歌に、薩妙観命婦は次のように返しています。
ますらをと思へるものを大刀佩(たちは)きて
可尓波(かには)の田居(たゐ)に芹そ摘みける
麻須良乎等 於毛敝流母能乎
多知波吉氐 可尓波乃多為尓
世理曽都美家流
(巻20・4456番歌)
「立派なお方だと思っておりましたのに、(あらあら)大刀を腰につけたまま、可尓波(かには)の田んぼで、カニのようにはいつくばって、セリを摘んでいらっしゃったのですね」と、意地悪なことをいっています。
でも、葛城王が仕事の忙しさにかこつけて、自身の努力を強調するところに戯れの心を見つけると、うまく応えているなあ、と読むことができるのではないでしょうか。セリの食べ方は、歌の解釈のように、私たちに任されているようです。
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梅花女子大学教授 市瀬 雅之
現代訳から原文までを用いて『万葉集』に文学を楽しむほか、『古事記』や『日本書紀』等に日本神話や説話、古代史をわかりやすく読み解く。中京大学大学院修了 博士(文学)。著書に『大伴家持論 文学と氏族伝統一』おうふう 1997年、『万葉集編纂論』おうふう2007年、『北大阪に眠る古代天皇と貴族たち 記紀万葉の歴史と文学』梅花学園生涯学習センター公開講座ブックレット 2010年。ほか執筆・講演・講座多数
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