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TOP > 〈特集〉直木賞作家・今村翔吾さんの連載コラム「吾、翔ける」 > 吾、翔けるvol.3 – 童が語る蔑(さげす)まれし者たちの物語 –
先月も述べたが、今もまだ118泊119日の旅の途中である。すでに中国、四国、九州、沖縄は回り終えた。現在は再び近畿に入り、和歌山の串本でこの稿を書いている。
先日、大阪府茨木市の書店でもサイン会をさせて頂いた。北摂地域に住んでいる多くの方がご来場下さったことで盛況であった。 その時、壁に描かれているイラストにふと目を奪われた。茨木市のマスコットキャラクターである。見た目は可愛らしい鬼である。 なるほど。茨木童子をモチーフにしているのだろうとすぐに判った。どれどれ、如何(いか)なる名前なのかとイラストの周囲に文字を探す。あった。その名も、 ――いばらきどうじ。
一切の捻りはない。そのまま直球ストレートである。 敢えていうならば平仮名表記であるため若干のやわらかさを感じるが、これはどちらかというと、子どもにも読めるような配慮の方が大きいに違いない。 だがこの直球ぶりは気に入った。 実は、私はこの茨木童子を小説で描いたことがある。『童の神』という作品だ。 単行本としては一作目であり、初めて直木賞候補に挙げられた思い出深い作品でもある。
そもそも茨木童子とは何なのか。 大江山(おおえやま)に住む鬼の首魁(しゅかい)、酒吞童子(しゅてんどうじ)の補佐役、副将と言われる鬼だ。酒吞童子と戦ってその傘下に入ったという。 また別の本では茨木童子は女であり、酒吞童子の妻などとも言われている。これら鬼としての酒吞童子は架空のものなのは確かであろう。 だが、そのモチーフが無かったとは言い切れない。 平安時代といえば、多くの人が丸い眉のお公家様、十二単を纏った女性、艶やかな恋の歌、寝殿造りの豪奢な家などを思い浮かべるだろう。
しかし、それは間違いではないものの、主には京の中だけの話である。 京の外では夜盗が跋扈(ばっこ)していたし、重税に苦しんでいた民は多くいた。この時代、まだ地方では竪穴式住居に住まう者さえ多くいたのだ。 中央に反抗する者たちもいた。 彼らは太古の昔からその土地に住まっていたが、朝廷の支配が広がると共に、山間部へと追いやられていった。 平安時代とは、そのような者たちが残っていた最後の時代でもある。
朝廷は全国の支配を完全なものにするため、軍勢を出して討伐を繰り返した。 その時、自らを正当化するため、彼らを人外の者、いわゆる「妖(あやかし)」として物語に残したのである。 この時代、鬼、土蜘蛛、鵺(ぬえ)、大蛇などの伝説がやたらと多いのは、それが原因だと考える。 話を戻すと、茨木童子もそのような抵抗勢力の首魁の一人だったのではないか。 摂津茨木は京とも距離が近いため、度重なる討伐が行われたであろう。 やがて踏み留まることが出来ず、他の抵抗勢力と合流するようなこともあったかもしれない。
茨木から山を越えていけば丹波はそう遠くはなく、そうなると「酒吞童子」と「茨木童子」が力を合わせるようなことも十分にあり得る。 最後にこの茨木童子、酒吞童子が討たれた時、大江山を辛くも逃げ出したという。 そして酒吞童子を討ったうちの一人、渡辺綱(わたなべのつな)に復讐を企てる。 私はその辺りを、『童の神』続編の二作で描いていくつもりである。
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