私が乗っていた車は、読者からの公募で「たび丸」と名付けられ、各地の訪問先で車体にメッセージを書いて貰った。寄せ書きのようなものだ。ゴール寸前、たび丸の車体は、所せましと多くのメッセージで埋められていた。
その車に乗り、最後の場所へ行く。そこにはファンや関係者など500人近くの人々が待って下さっていた。新庄市民だけでなく、遠くは中国、関西、関東、北海道から駆け付けて下さった方もいたという。その光景に息を呑んだ。込み上げて来るものがあった。車の運転、サポートをしながら共に回ってくれた秘書などは、皆さんの顔を見るなり嗚咽していた。