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TOP > 〈特集〉直木賞作家・今村翔吾さんの連載コラム「吾、翔ける」 > 吾翔けるvol.17 -私が思う”歴史小説”とは-
『教養としての歴史小説』という本を刊行した。日本の歴史の本ではなく、「歴史小説の歴史」の本である。
本書ではまず、歴史小説とは何かから触れている。近いものとして時代小説と呼ばれるものがある。明確な線引きはされていないし、またする必要もないとは思うが、昨今では分けて語られることも多い。私も違いについてよく尋ねられる。
ごく簡単にいえば、NHKの大河ドラマが歴史小説、水戸黄門や必殺仕事人などのテレビドラマが時代小説といってよいだろう。前者は基本的には史実に添っているのに対し、後者は時代背景だけを借りてフィクション部分が多いということだ。 もっとも歴史小説にもフィクション部分はあるし、昨今の大河ドラマもそれが顕著であったりする。一方、時代小説といえども、史実に基づいている部分が多い作品もある。つまりまちまちということで、だからこそ私は敢えて分ける必要もないと思う次第だ。 さて、本書では便宜上、時代小説も含めて「歴史小説」としている。この歴史小説であるが意外とその歴史は浅い。今の形となったのは大正時代、どれだけ早く見積もっても明治時代後期からである。 元となったのは講談だ。若い世代にはぴんと来ないかもしれない。講談師と呼ばれる人が、軍記や政談などの歴史の物語をわかりやすく面白く聞かせる話芸である。江戸時代には、神社の境内や路上で、のちに芝居小屋で演じられるようになったという。
江戸時代まで庶民の娯楽は乏しかったため、この講談も大人気であった。しかし、講談師は江戸、大坂などの大都市に集中している。地方では講談を楽しむことが出来ないというデメリットがあった。そこで「講談を紙に書いて全国に届けよう!」と、考えた人が出た訳だ。これが歴史小説、いや厳密にいえば時代小説の始まりだとされている。ちなみに皆さんもよくご存知の「講談社」はそれが元で名付けられた経緯がある。 これが大正、昭和を経て隆盛した。このジャンルが特に盛り上がったのは戦後であり、中でも司馬遼太郎の功績はあまりに大きい。 しかし、平成になって人気は落ち着き、今では横ばいといったところか。もっとも本自体が売れなくなっている為、それに引きずられて歴史小説を読む総人口も減っている。
加えて「歴史小説って難しそう」という人も多くなっている。実際、そういう部分もなくはない。これは100%書き手、つまりは小説家のせいだと思う。昔の作品よりも、読むのが難しくなっている傾向がある。普通は逆に思われそうだが事実である。むしろ昭和期の歴史小説のほうが、メートルや、ジャンプなどのカタカナを堂々と使っている。これは読者にストレスを掛けぬこと、テンポを重要視しているからであろう。つまり昭和期の歴史小説のほうが、より講談に近い庶民的なものだった訳だ。それが、歴史小説は崇高だとでも勘違いした者がいたのか、いつからか何か難しい言い回しが駆使されるような風潮となった。 我々歴史小説家は、あくまで講談の流れを汲む大衆小説家だ。読者の心を躍らせる、楽しんで貰う。それを第一に考えるべきだと私は思う。 あとは「日本人ジャンル分けしたがる問題」である。これは歴史小説ではないとか、時代小説ではないとか、〇〇歴史小説とか、●●時代小説とか――。ぶっちゃけ何でもいいと内心で思っている。そんな私もジャンル分けされることはあるが、私は「今村翔吾かそれ以外」と本気で思っている。傲慢な意味ではなく小説家など突き詰めればそれだろう。 と、どこかのホストの名言のようなことを言って締め括る。少しでも歴史小説のハードルを下げたいと思って本書を書いたので、よければご一読頂ければ幸いである。