
吾翔けるvol.19 -江戸時代の朝顔の話-
仕事が忙しく趣味を持てない。いや、趣味を仕事にしたようなものだから仕方ないのかもしれない。いま何に興味があるかとふと考えてみると、風貌に似合わず園芸が好きなことに気が付く。小学校低学年の時、朝顔を栽培したように記憶しているが、それがことのほか楽しかったからかもしれない。
朝顔は、江戸時代には凄まじいブームを巻き起こしていた。あちらこちらで栽培され、変わったもの、今風に言えばレア物は高値で取引きされるといった状態だ。
幕末にはその種類は優に1000を超えていたというから、いかに流行していたかお解り頂けるだろう。
そのレア物は如何にして生み出されていたか。品種改良といっても当時は遺伝子研究など夢のような話で、とにかく大量に栽培して偶然を引き出すしかない。100株栽培しても変異が現れないことなどは当たり前で、とにかく辛抱強く栽培が行われたらしい。
花弁の数や形が変わったものなどが重宝され、中でも特に重要視されたのは「色」である。原種は青色の花を咲かせるのだが、江戸の人々は変わった色の朝顔を生み出そうと試行錯誤を繰り返した。


特にレアな色は黒。これはなかなか出来なかったらしい。さらに珍しい色がある。超レア物ということになろう。意外に思われるかもしれないが黄色である。
どれぐらい珍しいかというと、これほど科学が発展したにも関わらず、今現在も100%の再現は出来ていないのだ。ただ嘉永7年(1853年)に刊行された『朝顔三十六花撰』という本の中には、黄色い朝顔の記述がある。複数の文献や証言があるため、江戸時代に咲いていたことは確かだろう。
この黄色の朝顔だけではなく、他にも現在に伝わっていない性質を持つ朝顔が多くあった。一度世に誕生しながら、何故受け継がれなかったか。それは敢えて劣性遺伝子を引き出しているため、種子を取れないものが極めて多かったからだと言われている。
それにしても現在でも生み出すことが困難な花を咲かせるとは、江戸時代の人々の情熱は凄まじい。それは決して高値で取引きされるからというだけではない。当時のほうが物も娯楽も少ないが、かえって一つのことに没頭できる環境だったのではないか。
時季が来て朝顔を見かける機会があれば、ちょっと注視してみては如何だろうか。もしかしたら、江戸時代以来の珍種が見つけられるかもしれない。