
吾翔けるvol.25 -「物価高」と「鼠小僧」
物価が高騰している。宝くじの一つでも当たらないかと思うことも多い。さらに言えば、何処かから金が降って来ないかと──。
そのようなことをしてくれる者が主人公の時代劇がある。ご存知の方も多いだろう。鼠小僧である。武家屋敷に忍び込んで金品を盗み、貧しい人々に配る義賊である。さて、この鼠小僧だが実はモデルとなった盗賊がいるのだ。
今から約二百年前の天保三年五月、江戸は浜松町にある松平家の屋敷で一人の泥棒が捕まった。名は次郎吉。齢三十七。彼こそが鼠小僧のモデルである。
この時に捕縛されるまで、次郎吉が盗みに入った大名屋敷は実に九十八家。総額一万二千両。現在の貨幣価値に換算すると六、七億円にもなる。もっとも次郎吉も全てを記憶していなかったようで、実際にはそれ以上の盗みを働いたと思われる。
次郎吉は如何なる生い立ちであったか。江戸の新和泉町に生まれ、父は歌舞伎の中村座の木戸番であったらしい。長じて建具職人になったものの、そこからどうした訳か町火消になる。その後、博打にのめり込んで身を持ち崩し、二十七歳で泥棒稼業に転じたということが判っている。
小柄で身軽なため、高い塀もするすると上る。そして、どうやら記録によればかなりの美男子だったらしい。ここまでは鼠小僧のモデルとしては完璧である。
が、時代劇とは一つ大きく異なることがある。しかも根本的なこと。この次郎吉、大名屋敷から盗んだ金を貧しい者に配っていない。自身の食、酒、女、そして博打に使ったと証言しているのだ。武家屋敷を狙った理由も、不当な利益を貯め込んでいるからではなく、ただ単に、
──盗みやすかったから。
とのこと。この時代、むしろ商家のほうがセキュリティに金を注いでおり、武家屋敷のほうが脆弱だった。しかも武家の場合、盗まれたことを恥として、被害を訴え出ないケースも多かったという。故に次郎吉は大名屋敷をターゲットにした訳だ。


この次郎吉、盗みのリピートを行っている。同じ大名から何度も盗んでいるのだ。中でも最も盗まれたのが美濃大垣藩主戸田家。一、二年おきに計四度ほど。四百二十両、現在でいうと約二千五百万円を盗まれている。
何故、この次郎吉が鼠小僧のモデルとなったのか。理由として考えられるのは二つ。一つ目は盗みにおいて人を傷付けなかったから。これは結構大きい気がする。
そして二つ目、私欲のためとはいえ、実際に狙ったのが武家屋敷ばかりだったから。当時も今とさして変わらず、政治に不満を抱いている庶民は多かった。そのような中、武士に一泡吹かせる次郎吉の盗みは痛快に思えたのだろう。
この次郎吉に、さらに半世紀前の「稲葉小僧」という盗賊の様々な逸話を合わせ、安政四年に『鼠小僧実記』をもとにした歌舞伎「鼠小紋東君新形」が上演され、今日の鼠小僧のイメージが固まった。とはいえ、時代劇が全く放映されなくなった令和では、若い世代からすれば鼠小僧など「聞いたことあるかも」程度が関の山だろう。
暗いニュースが続く今だからこそ観たくもあるのだが。ちなみに「自分のために使った」というのは、あくまで次郎吉の証言。実際は――。そのようなことを夢想するのが物書きの性。それは江戸時代も、令和時代も、さして変わらぬものである。