豊中駅からほど近い「LA PIZZERIA DA NINO」。気取らない雰囲気の店内へ進むと、店主の美延さんが笑顔で出迎えてくれる。
世界一の称号を2度も勝ち取った彼のここまでの道のりは、決して順風満帆ではなかった。全速力で駆け抜けてきた、その半生に迫る。
-借金返済の日々から、ピッツァを極めにイタリアへ-
大学を卒業後、昼はビーチバレー選手、夜はバー勤めをしていた美延さん。そんな彼がピッツァづくりに目覚めたのは30代半ばの時。独立開業したバーの経営が行き詰まったことと、喫茶店を営む母・ひでこさんが病床に伏したことで積み重なった800万円の借金を返済すべく、トラック運転手として働いていた頃だった。
「あの頃はとにかく借金を返すことに必死でした。全く遊ばずに、死に物狂いで仕事ばっかりの生活でした」と笑う美延さんだが、そんな時に偶然目にしたのが、ナポリピッツァをつくる動画だった。生地をつくり、ソースや具をのせ、石窯で焼き上げる、洗練された一連の動きに興味を抱き、自ら試作するようになる。「生地が発酵する様子や、焼いてプクッと膨らむ姿を“かわいい”と感じるようになりました」と、トラックの助手席に生地を乗せて発酵の様子を見守るほどの熱中ぶりだった。そんな日々を送る中で「大好きなピッツァを極めたい」という思いが募り、イタリア語をほとんど話せないまま、35歳の時に単身イタリアのナポリへ向かった。
トラック運転手時代から今に至るまで、日々ピザを研究。温度や時間調整の記録をメモに残している
-壁にぶち当たりながらも、理想を求め修行に邁進-
ピッツァ職人としては素人同然だった美延さん。アポ無しで訪問した店では「日本のウデが良い職人が来た」と勘違いされて生地を焼かせてもらったものの、「その腕前じゃ無理だ」と追い返された。壁にぶち当たった美延さんだったが、翌日足を運んだ人気店のマルゲリータの味に衝撃を受け、「こんなピッツァを作れるまで、日本には絶対に帰らない」と決意を固めた。
その後20軒30軒と修行先を探し続け、ナポリ湾に浮かぶイスキア島へとたどり着く。その島では、ピッツァ界の巨匠ガエターノ・ファツィオ氏が店を構えていた。カタコトのイタリア語で必死に話した熱意が通じたのか、美延さんは彼の店で働けることに。1日中チーズを切り続けるなど黙々と下働きに励みながら、工程を目で盗み、仕事終わりには余った生地で試作する日々を続けた。「ガエターノには本当に愛情を注いでもらいました。修行中に初めて休みをもらって挑んだ大会で負けた時、『私はニーノ(美延さんの愛称)が一番だって知ってるから大丈夫』と言ってくれたことは一生の思い出です」。”イタリアのパパ”と呼ぶ師匠の教えを胸に、美延さんは寝る間も惜しんでピッツァ作りに没頭した。
「師匠でありイタリアのパパ」と仰ぐガエターノさん(最右)
-世界大会で1度目の優勝 栄誉よりも「周囲のため」-
その後、イタリアの大会で入賞を果たすなど結果が出始めた頃、美延さんの評判を聞き付けた日本の有名イタリア料理店に誘われて帰国することに。一流料理店で腕前を磨くだけでなく店舗経営のノウハウも蓄えていき、ついに2018年に自身の店をオープン。評判が広まり忙しく過ごしつつも、美延さんはある2つの思いを胸に秘め、世界への再挑戦を見据えていた。
「これまで店に足を運び、支えてくれたお客さんが『自分が食べたピッツァが世界一になった』と知れば、喜んでくれるだろうと。そして世界大会で優勝して店が繁盛したら、一度は病気で断念した母の店を再建したいとも考えていました。頂点を勝ち取る栄誉よりも、そんな思いが原動力でしたね」。2019年、改めてイタリアへ渡った美延さんは、師匠であるガエターノさんの協力のもと半年間におよぶ入念な準備を行い、ローマで開催された「ピッツァ・ワールドカップ」に出場。そしてマリナーラ部門で、見事優勝を成し遂げた。
19年のピッツァW杯優勝時
-苦境を打破すべく2度目の頂へ 挑戦の日々はこれからも-
ところが、繁盛していた矢先に見舞われたのがコロナ禍だった。テイクアウトのみの営業を余儀なくされ、さらに肺に持病のあった母・ひでこさんは外出もままならない状況となる。世界一の称号を得ても、思い描いた夢を叶えようのない日々が続いた。そんな現状を打破すべく「もう一回チャンピオンを目指そう」と美延さんは決断。2022年、再度ピッツァ・ワールドカップに挑んだ。結果は、マルゲリータ部門で見事優勝。ガエターノさんは、涙を流しながらこの快挙を祝福してくれたという。そして翌年3月には、念願の母の店「ひでこ食堂」を石橋にオープンすることができた。愛情たっぷりの料理が評判を呼び、徐々に客足を増やしている。
「自分のピッツァは未完成で、今も試行錯誤の途中。母の店の改善案も山積みです」と、頭の中は未来の構想で満たされている。ピッツァ職人として、そして親孝行の息子として、今後も自身が思い描く理想に向かって走り続けていく。
構想から14年の歳月を経て「ひでこ食堂」をオープン