北京五輪(2008年)の体操男子団体総合の銀メダリストをはじめ、国内外の大会で数々の入賞・優勝を果たした沖口誠さん。30歳で引退後、体操スクールで子どもたちへの指導に従事し、2019年に「沖口まこと体操クラブ」をオープン。メダリストに至るまでの苦労や挫折、子ども達への想いを聞いた。
-世界最高峰の舞台で見た景色-
―北京五輪・決勝の会場。この大舞台で結果を出すため、やれることは全てやり切った。自分の演技まであともうわずか。満員の会場は耳をつんざくような大歓声に包まれていた―
吹田市で体操教室を営む元オリンピック選手の沖口さん。「経営者」という側面だけではなく、実際に子どもたちへ直接指導を行う「指導者」として体操の楽しさを教えている稀有な存在だ。
その前身にあるのはやはり、オリンピックでの銀メダル獲得という経験。「表彰台に上った時、お世話になった人やこれまでのことが走馬灯のように流れてきました。感謝の気持ちがあふれて、清められたような気持ちになりました」。当時を振り返り沖口さんはこう話す。決して順風満帆ではなかった現役時代と、そこから指導者へと転身することになった体操人生を追った。
北京五輪出場時
-挫折の度に、周りに助けられた体操人生-
沖口さんが体操を習い始めたのは小学3年生の時。「体操をやってる子って側転とかできてカッコイイじゃないですか。それで始めたいと思いました」。そして中学2年生の年に初の試練が。手首のケガが悪化し、成功率は5割という手術を受けることに。「成功するか分からないし体操はもうやめようかな、と思いました」。辛い決断を迫られて心が折れそうになった時、救いになったのが当時の担任の言葉だった。『手首を使えない分、足とか体幹を鍛えて、復活した時には誰よりも足腰の強い選手になればいいんじゃないか』。この言葉は落ち込んでいた沖口さんにとって一筋の光となり、「発想の切り替えを学んだ」という。
高校・大学は体操の強豪校へ進学し各年代でレギュラーに名を連ねた。そして世界が見え始めた大学3年生の頃、挫折を味わうことに。「演技に好不調の波があったことが原因で、ナショナルメンバーの選考から落ちました。12人が選ばれるところ、13位だったんです。この時は泣きましたね。その日から毎日“頑張らないと達成できないこと”を目標設定して練習を行いました」。この悔しさが自分を奮い立たせ、翌年ナショナルメンバーに選ばれた。
ある時は、苦楽を共にした仲間から、大切なことを教えてもらった。18人が通過できるオリンピックの選考会で沖口さんは18位、落選となる19位にいたのは高校・大学と一緒に練習をしてきた先輩だった。「誰よりも悔しい気持ちを抱えているはずの先輩から、『選ばれたのが沖口でよかった!』という言葉を聞いた時に、自分も誰かを応援できる人になりたいと思いました」。
-トップアスリートとしての経験を子どもたちに伝えたい-
数々の大会で実績を残し、30歳で現役引退。「成功と挫折を経験して、周りの人から支えられてきた自分だからこそ、子どもたちに伝えられることがあると思うんです」と、引退後は子ども向け体操教室を開くことを決めていた。沖口さんの熱心な指導が評判を呼び、生徒の数は約270名にまで増えた。今後取り組みたいことは、中学校の部活や教員向けの体操指導にも関わり、地域全体で子どもたちを育む環境作り。一番大きな夢は、トップレベルを目指せる総合的な施設がある体育館を作ることだという。
指導することの醍醐味を聞くと、「子どもたちが、『これやりたい!』『できた!』と言って、キラキラした表情を見せてくれる時が嬉しいですね。できなかったことができた時の驚きや感動を感じてほしいです。ここが子どもたちの成長の場になれば」と話す。そんな教えを通じて羽ばたく子ども達と、明るい未来を目指す沖口さんの今後の活躍に注目だ。
【取材協力】
沖口まこと体操クラブ
【江坂教室】吹田市垂水町1-43-4
【南吹田教室】吹田市南吹田5-22-27
https://okiguchi-gym.com/