河野家は鎌倉時代初期には「源、北条に次ぐ家」と言われるほどの名家であった。それが承久の乱の折、一族の大半が朝廷方に与したために没落する。そして鎌倉幕府内で最強の呼び声が高かった水軍を率いていたにもかかわらず、海沿いの領地もほとんど失ってしまうのだ。
幕府方についた僅かな者たちが許される。普通はこうなったら力を合わせて、もう一度守立てていこうとならねばならない。しかし、河野一族は激しい内輪揉めをするに至る。貧すれば鈍するなどというが、まさにそのような状況だったのかもしれない。
しかもこの争いの理由が実に下らない。父が長男に対して「俺の愛人に手を出した」と言って追及、長男は「いや、そのような事実はない」と反論。幕府が仲裁に入って一度は決着がつく。父と長男、今後は別々にそれぞれの領地を管理しろと命じられた。
が、父の死後に次男が「やはり兄は有罪だ」と言い出して軍勢を差し向ける。それを長男が返り討ちに――。と、一昔前の昼ドラのようなドロドロぶりである。