【コロナ禍の先へ ~挑戦者たち~】イラストレーター 水野香菜さん
2021.04.28
ハート型のキャンバスに白鳥を描いた作品を手にする水野さん。
「Kqnq Mizuno (カナ ミズノ)」として活動する。
子供の頃から絵を描くのが好きだったという水野さん。中学生になると油絵教室に通い、高校では美術部に入部。
高校3年生のときには、府下の高校生が応募する「第62回高校展」(大阪府高等学校美術工芸展/大阪府高等学校美術・工芸教育研究会主催)に祖母を描いた作品を応募、「奨励賞」を受賞した。
「眠り姫」
嵯峨美術大学(京都市)では、イラストレーションやグラフィックデザインを学び、卒業後は吹田市で歯科助手をしながらイラストレーターとして活動していた。
毎夏、京都の古着屋の一角で個展を開催し、イラストや自らがデザインしたTシャツ、スマホケースなどを販売。祇園祭の時期と重なっていたこともあり、国内外の観光客が多く購入していった。
スマホケース「オオカミ」
ある日、にっこり笑うウサギを描いた作品を見つめる男性がいた。声をかけると、「最近辛いことが重なって落ち込んでいた」という。
「ウサちゃん、買って帰っていいですか」と問われ、「もちろんです」と答えると涙ぐんで礼を言い「これをきっかけにがんばりたい」と言った。
曇っていた男性の表情がパッと明るくなり、目が輝きを取り戻したように見えたという。
スマホケース「ツバメ」
昨夏、個展は6回目を迎えるはずだった。
ところが、新型コロナの第2波が到来。政府による入国規制もあり、外国人観光客も見込めない。個展の開催はあきらめざるを得なかった。
「お客さんとコミュニケーションがとれる個展は自分にとって必要な場所。ショックは大きかった」と水野さんは振り返る。
イラストレーターによる収入は半分近くを占めたこともあったが、個展がなくなると徐々に減っていった。
勤めていた歯科医院も感染を恐れた患者からのキャンセルもあり、収入は減少した。患者はマスクなしで治療するため、感染リスクが高く、持病をもつ母親への感染も心配だった。
このまま歯科助手を続けるか、イラストの仕事に絞るか。迷いが生まれた。
「縁」
そんなとき、背中を押したのが個展で出会った男性の言葉だった。「私の絵が転機につながったのかな」。今度は自分が励まされた。
「今までは二足のわらじで保険をかけているような人生だった。でもコロナでその保険が壊れ未来は読めない。それなら私は自分の可能性にかけてみたい」。
歯科医院の退職を決意し、現在は、オーダーを中心に結婚式のウェルカムボードや、飲食店のロゴ、名刺の制作などを行っている。コロナを機に新たに仕事を始める人も多く、制作物の需要は高い。
「90歳になっても現役のイラストレーターでいたい」。水野さんの挑戦は始まったばかりだ。
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