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CULTUREコラムVOL.24 梅花から「令和」を込めて

2021.10.03

栗を食べると

栗が美味しい季節になりました。『万葉集』では、山上憶良(やまのうえのおくら)が次のような歌を詠んでいます。

瓜(うり)食(は)めば 子ども思ほゆ
栗食めば まして偲(しぬ)はゆ
いづくより 来(きた)りしものそ
まなかひに もとなかかりて
安眠(やすい)しなさぬ
宇利波米婆 胡藤母意母保由
久利波米婆 麻斯提斯農波由
伊豆久欲利 枳多利斯物能曽
麻奈迦比尓 母等奈可々利提
夜周伊斯奈佐農
(巻5・802番歌)

「瓜を食べると子どものことが思われる。栗を食べると増して偲ばれる。(こんなに愛しい子は)どこから来たのだろう。(ほら今も)目の前に(ちらちら)浮かんで、安眠させてくれない。」我が子にあれも食べさせてあげたい、これも食べさせてあげたい。そういう食材の中に栗が選ばれています。子を愛おしむ親の気持ちもよく表現されています。でも、子どものことばかりを思って、夜もおちおち眠れないというのは穏やかではありません。

実はこの歌、序文がついていて、釈迦如来が子どもを愛したという例え話をしています。良いことのように思われますが、仏教的には、惑溺(わくでき)は愛欲になります。欲=煩悩を抱えて心の平安は保たれません。今日、「あの人は本当に子ぼんのうな人だなぁ」というと、褒め言葉になると思いますが、「子ぼんのう」は漢字で書くと「子煩悩」。憶良は、お釈迦様でさえ子どもを愛するなら、凡人が子を愛することをやめられないのは道理だ、と先の歌を詠みました。更に「銀も金も真珠も何だというのだ、優れた宝は子にまさるものがあろうか。(ないはずだ)」(巻5・803番歌)とうたい継いでいます。

山上憶良は遣唐使船に乗って、多くの漢訳仏典を持ち帰りました。彼の知識は並々ならぬものがあったと思われます。それを仏法の教えとしてだけではなく、歌のモチーフに選び詠んでみせたところに才能が光ります。真面目な顔をしてこの歌を詠み上げた後で、「子どもを思うことを煩悩、煩悩と言いましたが、歌ですから」と笑いそうな気がします。

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梅花女子大学教授 市瀬 雅之

現代訳から原文までを用いて『万葉集』に文学を楽しむほか、『古事記』や『日本書紀』等に日本神話や説話、古代史をわかりやすく読み解く。中京大学大学院修了 博士(文学)。著書に『大伴家持論 文学と氏族伝統一』おうふう 1997年、『万葉集編纂論』おうふう2007年、『北大阪に眠る古代天皇と貴族たち 記紀万葉の歴史と文学』梅花学園生涯学習センター公開講座ブックレット 2010年。ほか執筆・講演・講座多数

 

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