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【阪神神戸版】CULTUREコラムVOL.2 梅花から「令和」を込めて 「いつか妻に見せたいところ」

2019.10.10

奈良を都とした時代の山陽道は、西宮市で今の国道2号線と交差していました。京都からは西国街道と呼ばれた道です。『万葉集』巻三の「雑歌」(ぞうか・公の席で詠まれた歌)部には、「高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が歌二首」と題して、

との歌が記されています。「我が妻に猪名野は見せた、名次山や角の松原は(ここだよと)いつ見せられるのだろうか」と、出張に妻を同伴したことを詠んだとても珍しい歌です。もう一首は妻の歌と合わせて改めてご紹介しますが、今の神戸市長田区に「真野の榛原(はりはら)二八〇番歌」を詠んでいます。そこまで出かけているのに、道中で「名次山」や「角の松原」を見せることができなかったようです。なぜでしょう。この謎解きには、地図を片手にフィールドワークしてみることをお勧めします。スタートは、山陽道に近いと思われるJR西宮駅の北側からです。まずはそこで地図を広げて猪名川を渡り山陽道を旅する黒人一行を想像してみてください。そこから地名を残す名次神社(なつぎじんじゃ)を訪ねたり、「角(つの)の松原」をたよりに駅の南にまわって松原天満宮や津門神社(つとじんじゃ)等を訪ねてみると、よく知られてはいたのでしょうが、道筋から少し離れているので、足をのばすことができなかった可能性がありそうです。当時の旅はすべてが公務でした。道からはずれてあちらこちらへと観光することが難しいので、訪ねてみたい思いを込めて詠まれています。

 

梅花女子大学教授 市瀬 雅之

現代訳から原文までを用いて『万葉集』に文学を楽しむほか、『古事記』や『日本書紀』等に日本神話や説話、古代史をわかりやすく読み解く。中京大学大学院修了 博士(文学)。著書に『大伴家持論 文学と氏族伝統一』おうふう 1997年、『万葉集編纂論』おうふう2007年、『北大阪に眠る古代天皇と貴族たち 記紀万葉の歴史と文学』梅花学園生涯学習センター公開講座ブックレット 2010年。ほか執筆・講演・講座多数

 

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