シティライフアーカイブズ【北摂の歴史記録】第2回 北千里を歩く像
2019.12.28
現在、そして未来にもつながる過去の情報を取材、編集し、記録する特集です。北摂の歴史から、私たちの住むまちの魅力を学び知る機会になればと思います。今回は、まちなかを歩く象が撮影された一枚の写真から、その出来事について取材をしました。
歴史案内人
取材協力 赤井 直さん ひがしまち街角広場を立ち上げ、基礎を築く。現在は東丘子ども教室の代表。
取材協力 奥居 武さん 千里市民フォーラムや藤白台地区連合自治会など、千里ニュータウンのまちづくりに活躍中。
取材協力 関大生のみなさん 「ヒロバ」の追跡取材を実施。現在は卒業したが、「ヒロバ」は今?のドキュメンタリー映像の公開が待たれる。
北千里を歩く像 -1970年-
タイ国からの珍客
1970年8月4日、20頭ものゾウがタイからはるばる大阪にやってきた。当時吹田市で開催中だった万国博覧会の、お祭り広場で行われる夏休みイベント「象まつり」に出演するためだった。タイで船に乗せられ、たどり着いたのは神戸港。まだ大阪港が今ほど整備されておらず、また、ゾウを運ぶような大型のトレーラーもない時代。ゾウ達は神戸から万博公園まで、歩いて移動することになった。
撮影した赤井直さんは「新聞の小さな告知記事で行進を知り、見に行きました。写真は、北千里から藤白台にかかる藤白橋の上から撮ったもの。この頃女性はたいてい家庭にいたので、沿道は日傘をさした女性と夏休み中の子どもが多かったです。船で生まれた赤ちゃんゾウが、大人のゾウ達の一番後ろをチョコチョコとついて歩いていたのが印象的でした」と話す。
神戸から万博公園までの大行進
ゾウ達は3日、神戸港を出発して国道171号線をゆっくりと行進しはじめた。ところが、西宮と尼崎の市境付近にさしかかったとき、慣れないアスファルトの道で四頭が足を痛め、その日は一晩野営することに。武庫川の川原で草をはみ、大好きな水浴びをして元気を取り戻したゾウ達は、翌日行進を再開。尻尾を振って周囲の歓声に応えながら千里けやき通りを抜け、4日午後2時頃には会場に着いたそうだ。その道中には数千人の見物人がゾウを一目見ようと押し寄せた。水筒持参の家族連れや学校のプールからそのまま飛び出してきた水泳パンツ姿の児童たち、銃を肩にかけた自衛隊員、中には、子どもを肩ぐるましてゾウと一緒に走るお父さんまでいたそうだ。
写真提供者 学)蛍池学園 蛍池文化幼稚園171号線(?)を行進する象
写真提供者 馬渡 玲子さん 大阪万博へゆく途中で、武庫川・甲武橋で一 泊していたときの写真 〈協力〉WEBサイト:北摂アーカイブス
交通整理にあたった警察官によると、沿道の子ども達はこの巨大な珍客にむかって盛んに拍手を送り、普段は交通渋滞でイライラしている自動車の運転手も、この時ばかりはニコニコとして、歓迎ムードだったという。 ゾウ達が吹田に滞在したのは、「象まつり」という夏休みのイベントに出演した2週間ほど。「この間、どうやら山田の竹林で野営していたようです。蛇口が一つしかなくて、乾いたゾウが会場で池に突進したり、隣の竹林を食べ始めてしまうハプニングがあったそうですよ」と千里ニュータウンのまちづくりに携わる奥居さんは、当時の資料をもとに話す。そして実は、タイから神戸までの船中と、万国博に着いてから、2頭の赤ちゃんゾウが生まれているという。そのうち、万博公園で生まれた子ゾウは、お祭り広場の「広」と万国博の「博」にちなんで〞ヒロバ〞と名付けられた。
「ヒロバ」は今?昨年、関大の学生が追跡取材
ゾウの平均寿命は60歳なので、45年たった今もヒロバは生きているはず。そこで、関西大学の学生達が追跡取材を行い、その様子を映像に残している。学生達は、ヒロバが万博後に飼われたタイのホテルや、再び日本にやって来た際に過ごした栃木県にも訪れ、関係者にインタビュー。その中で、タイのゾウ専門病院の創設者は「古来から暮らしを支えてきたゾウはタイにとって大切。日本の人も、もっとしっかりゾウを見てほしい」とコメントしている。
結局、ヒロバの足取りはタイで途絶え、行方は分からないままだ。しかし、学生達の取材力は見事なもの。当時の時代背景やタイの文化にまで触れ、よくまとめられている。今後はこの映像が貴重な資料となるはずだ。
関大生の取材工程
6〜9月
全国の動物園及び都道府県庁に取材10月
万博が終了し、ヒロバがタイへ訪れた後に、日本に帰ってきたという栃木県・鹿沼カントリー倶楽部への取材
タイでの取材中の様子
出典:日本万国博覧会公式記録(大阪府公文書館所蔵) 万国博のお祭り広場に出演する象。このためにタイから万博までやってきた。
12月
タイ・ランパーン県にあるゾウ専門病院及びタイの英字新聞・ネイション紙への取材
ドキュメンタリー映像制作
取材を終えて
この取材のキッカケはdios北千里の「地域交流研究会」で、この映画を私が拝見したことからでした。元々はディオス北千里のアーカイブ展で専門店会の山本会長がこの写真を奥居さんにみせてもらい、撮影者の赤井さんに許可を得て関大生にみせ、この映画づくりが実現したといいます。以前本紙でも紹介したdios北千里の「商店街で地域の学生を支援」というプログラムが実現した初めての事例です。
編集部 尾浴 芳久
記事内の情報は取材当時のものです。記事の公開後に予告なく変更されることがあります。