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シティライフアーカイブズ【北摂の歴史記録】第19回 写真で振り返る豊中市・箕面市・茨木市

2020.03.30

箕面市、豊中市、茨木市のまちなみは何十年の間に劇的な変化を遂げています。現在の箕面市役所周辺は、1967年(約40年前)まで田園風景が広がっています。ほんの40年前のことですが、まちの変化は著しいことがわかります。。茨木市中心市街地は、1970年開催の日本万国博覧会を契機に、東の玄関口として大きく整備されています。道路幅の拡大や、駅ロータリー等の設備を充実させ、現在の茨木市とつながっていきます。今の風景と見比べ、まちの歴史に触れてみてください。

歴史案内人
webサイト「北摂アーカイブス」の地域情報アーカイブ化事業実行委員会(豊中市立岡町図書館内)のご協力のもと、貴重な写真をご提供いただきました。詳しくは北摂アーカイブスで検索してください。

茨木市が運営するwebサイト「茨木ええトコ写真集」のご協力のもと、貴重な写真をご提供いただきました。詳しくは「茨木ええトコ写真集」で検索してください。

昭和44年 桜塚商店街

提供者 豊中市

阪急岡町駅から豊中市役所まで東へ続く商店街。この場所はその中間あたり。昭和44年といえば大阪万博の1年前。商店街はどこも人が絶えず、活気にあふれていた。

現在の桜塚商店街

昭和42年 阪急曽根駅

提供者
豊中市立克明小学校

曽根駅は明治45年5月30日、箕面有馬電気軌道の開通から2ヵ月遅れて開業。昭和10年に北大路魯山人ゆかりの料亭「大阪星岡茶寮」が開業し、(昭和20年)の空襲で焼失するまであった。

現在の阪急曽根駅

昭和10年 本通り豊中駅西口を望む

提供者 市民提供

現在の本通り豊中駅西口

昭和36年 半町4丁目(箕面西南部丘陵からの風景)

提供者 鈴木理史さん

昭和36年頃の箕面西南部丘陵地から北西部を望んだ風景。当時は産業道路と呼ばれていた国道171号線に車はほとんど見られず、田園地帯を横切っていた。遠くに、阪急電車の箕面線、池田の五月山団地が望める。

現在の箕面西南部丘陵地
から北西部を望む風景

昭和30年 桜井一番通り

提供者 箕面市

かつて西国街道を阪急電車が走っていた名残がうかがえる幅の広い道路。桜井の商店街と言えば、当時からこの通りに集中しており、広い道の両側に数々の店舗があり、写真中央奥には、桜井住宅のための火の見やぐらも見られる。

現在の桜井一番通り

昭和42年 箕面市役所より西小路・六個山を望む

提供者 箕面市

当時の西小路の集落は平屋建てが多く、光明寺とイチョウの木が一際大きく見られる。写真左手の団地は昭和28年頃に建設された、
箕面で最初の府営紅葉丘団地。正面山裾では、平和台住宅が造成中。

現在の西小路・六個山を望む

昭和29年頃 箕面市役所東側情景

提供者 細井清司さん

秋の穫り入れ風景。現市役所前交差点から東へ約50m行った辺りで、周りは全て田んぼばかり。稲掛けに掛けられた稲穂、足踏み式脱穀機が(上の)写真右手に見ることができる。脱穀後の藁は、二輪車の大八車に乗せて運んだ。

現在の箕面市役所東側情景

昭和30年頃 箕面滝道商店街

提供者 箕面市

明治43年3月の阪急電車開通により観光客が増え、旅館・店舗が滝道に沿って設けられた。撮影時期は不明。夏の夜景で、駅から北を見た滝道商店街の入口付近。向かって左側の商店は建て替えられてるが、店のようすは今も同じ。

現在の箕面滝道商店街

昭和42年頃 箕面高校西側丘陵地より箕面市役所方面を望む

提供者 箕面市

新築の箕面市役所とともに、道路をはさんで旧消防署の火の見やぐらも見える。その手前国道171号線との間は田畑が見られ、また都市区画整理事業を実施するようすがわかる。箕面連山の麓では宅地造成工事が進められている。

現在の箕面市役所方面を望む

昭和30年頃 阪急桜井駅前通り

提供者 箕面市

「赤玉ポートワイン」「トリスウ井スキー」「石油コンロ用白燈油」の看板がある。また雨の中、買い物中の蛇の目傘を差すお母さんが時代を感じさせてくれる。現在はコンビニもできて、学生・サラリーマンの行き来が見られるようになった。

現在の阪急桜井駅前通り

昭和30年頃 阪急桜井駅北側の商店街

提供者 箕面市

阪急桜井駅から田村橋を経て桜ヶ丘に向かう、通称田村橋通りの沿道にある商店街の風景。店舗は、本屋・洋裁店・手芸用品店・菓子
店・酒屋・精肉店などで、大規模の商店街ではなかったが、人通りは多く、活気ある街並みだった。

現在の阪急桜井駅北側の商店街

阪急茨木市駅前

市街地改造事業前。写真応募者 梅田さん

昭和45年の市街地改造事業実施後。写真応募者 梅田さん


大阪万博に向けて市街地改造工事が行われた。駅周辺にあった商店街や空き地は駅前一丁目ロータリーとバスターミナルに変貌し、数多くあった店舗はセンタービルに集約された。

阪急茨木市駅西側
写真応募者 大塚(T)さん


右端が駅舎。改札口は東側にはなく西側のみであった。西口前には広場があり、タクシー待合、自転車預かり、タバコ店、バス乗り場などが並ぶ。裏手には別院の囲い塀まで、手付かずの原っぱが広がっていた。その原っぱは、現在はバス乗り場と駐車場になっている。

昭和初期の本町付近

写真応募者 貴田さん


当時の材木町から魚屋町の御大礼奉 祝かざりの様子。本町商店街は、江戸時代 より北から南に魚屋町、材木町、鳥屋町と 約400メートル続く通りで、「茨木銀座」と 呼ばれていた。バス通りだった頃には道路 に張り出す看板や街灯は見られなかった。 商店街となってからは看板や街灯が設置さ れ、多くの人でにぎわうようになった。銀行や 家具、呉服、饅頭の店舗など約100軒が並 ぶ大商店街であった。大阪万博開催後に 始まった茨木フェスティバルは、公設市場 前の狭い通りは人で埋め尽くされた。 阪急茨木市駅とJR茨木駅を一直線に 結ぶため、別院の境内の一部を撤去して道 幅を広げた。別院南側の道は、当時の普通 車でさえ対面通行ができなかった路地。別 院本堂のひさしまで境界を後退させ、中央 通りの道幅は確保された。

スーパーダイエー(中津町)開店当日
昭和43年撮影

写真応募者 四方さん


当時、近くに住んでいた撮影者の四方さ ん。「すごい人波にカメラを持って来て写しました」。阪急茨木市駅より東に200メートルのところに、当時牟礼と呼ばれた集落、中津町に開業したダイエー。現在はマンションが建ち、阪急東商店街の両側には高層の建物が並ぶ。

旧国鉄茨木駅前(東口)
※現在のJR茨木駅。万博開催による駅舎建て替え前に撮影。
昭和43頃撮影

写真応募者 四方さん


写真応募者 大塚(T)さん


当時、JR茨木駅西側には大きな池があった。昭和44年にその池は埋め立てられ、現在は駅前ロータリーの一部となり、エキスポ通りになっている。JR茨木駅は大きく変化を遂げた。

鮎川地区 三島甘藍(かんらん(キャベツ))
産地、出荷風景 昭和28年頃撮影

写真応募者 田村さん

駅前一丁目付近にあった映画館
昭和12年ごろ

写真応募者 田所(T)さん

昭和43年頃の保健所前(府道枚方茨木線)
現在のローズWAMの前

写真応募者 大塚(T)さん


阪急茨木市駅とJR茨木駅を一直線に結ぶため、別院の境内の一部を撤去して道幅を広げた。別院南側の道は、当時の普通車でさえ対面通行ができなかった路地。別院本堂のひさしまで境界を後退させ、中央通りの道幅は確保された。
写真応募者 大塚(T)さん

茨木映劇 昭和34年

写真応募者 西村(Y)さん

掘廣旭堂書店
昭和43年1月28日

写真応募者 堀内さん

茨木高校の裏にある川端康成ゆかりの老舗書店。明治27年(1894)創業。川端康成は、旧制茨木中学校(現在の大阪府立茨木高等学校)時代にこの書店へ通い、本を買っていたといわれる。明治期の風情ある店構えは現代風に変わったものの、店の入り口横には開業当初の看板が掲げられている。なお堀廣旭堂のある大手町をはじめ茨木神社周辺の片桐町や上泉町は戦火をのがれ、戦前からの古い町並みがたくさん残るエリア。

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