-高槻市-勝海舟設計の幕末の動乱を物語る梶原台場跡を発見
2026.02.25
高槻市の梶原地区にある梶原台場。江戸時代末期、京都守護職・松平容保の幕府への進言がきっかけとなり、勝海舟が設計責任者を務め、整備されていた。明治時代に削平により絵図で知られるのみだったが、今回の発掘調査で、台場の具体像を知る重要な手掛かりとなる堀や石垣がはじめて見つかった。そこで2月28日(土)に、調査成果を説明する現地説明会が開かれる。
台場とは、外敵の侵入に備えるため土塁や石垣で砲台を築いた防衛施設。梶原台場は、江戸幕府の命を受け、1863年に外国船の淀川遡上を警戒し、京都を守るために京都守護職だった、松平容保の幕府への進言により、勝海舟を設計責任者として建設が決まった。その後は外国船への備えに加え、倒幕派の長州藩の上洛に備えるなど国内防備としての性格も強まり、西国街道沿いの梶原で建設が進められ1865年に完成した。
梶原台場は、南北約200m、東西約300m。今回の発掘調査は、北側の約300㎡を対象に実施し、南北方向から東西方向へ屈曲する堀と2つの石垣が見つかった。堀は幅約5m、深さ約1.5m以上あり、人が簡単には越えられない造りになっている。
石垣は、花崗岩を用いた布積みで石材同士の隙間を埋める間詰石をあまり使用せず、石材を加工・調整して隙間を埋めて積まれている。また石垣の下には、土台となる胴木組が据えられており、木杭列で、胴木を固定していた。
今回調査した場所は砲台のある台場本体と番所が置かれた関門部をつなぐ位置にあたると考えられる。これらの発見は、台場の位置や平面形態を復元するうえで重要な成果であり、幕末の京都防衛のための緊張した状況を物語っている。
【現地説明会】
開催日:2月28日(土)10時~正午まで
※小雨決行
場所:高槻市梶原3丁目
アクセス:阪急京都線上牧駅から南西に徒歩10分
見学者用の駐車場はありません。公共交通機関をご利用ください。
【問い合わせ】
高槻市立埋蔵文化財調査センター
TEL:072-694-7562
記事内の情報は取材当時のものです。記事の公開後に予告なく変更されることがあります。