地域情報紙「City Life」が発信する地域密着のニュースサイト

CULTUREコラムVOL.7 梅花から「令和」を込めて 猪名川恋物語

2020.03.08

昔々のお話です。猪名川近くに結婚したばかりの若い夫婦が住んでいました。しかし夫に突然、容赦のない単身赴任の辞令が。一度出かけたら、いつ帰ることができるのかわかりません。携帯もネットもない時代。ひたすら夫の帰りを待っていた妻は、心配のあまり病気になってしまいます。数年後・・・、ようやく夫が戻り、仕事の報告を終えて家にたどり着いてみると、そこには見る影もなくやつれ、床に臥せっている妻がいました。驚いて言葉に詰まりながらも、夫が詠んだという歌が、『万葉集』巻十六に、

かくのみにありけるものを猪名川の
奥を深めて我が思へりける

如是耳尓 有家流物乎 猪名川之
奥乎深目而 吾念有来

巻十六・三八〇四番歌

と記されています。「こんなことになっているのを(まったく知らず)、猪名川の(川底が深い)ように奥深く私は、(あなたのことを)思っていました」と。妻は横たわったまま夫の歌を聞くと、枕から頭を上げて声に応え、

ぬばたまの黒髪濡れて沫雪の
降るにや来ますここだ恋ふれば

烏玉之 黒髪所沾而 沫雪之
零也来座 幾許戀者

巻十六・三八〇五番歌

と返したとのことです。「まっ黒い髪を濡らしながら、沫雪が降るのに(あなたが)来てくださいました。こんなに想っていましたので。」と。ここに生まれた切ない恋物語は、山陽道を往来する旅とともに都まで伝わり、『万葉集』に書き残されました。編者は、妻の歌の内容から、夫が帰ってきたのは雪の降る季節だったのだろうと考察しています。
この物語、阪急池田駅の南側に歌碑を訪ねることができます。

 

梅花女子大学教授 市瀬 雅之

現代訳から原文までを用いて『万葉集』に文学を楽しむほか、『古事記』や『日本書紀』等に日本神話や説話、古代史をわかりやすく読み解く。中京大学大学院修了 博士(文学)。著書に『大伴家持論 文学と氏族伝統一』おうふう 1997年、『万葉集編纂論』おうふう2007年、『北大阪に眠る古代天皇と貴族たち 記紀万葉の歴史と文学』梅花学園生涯学習センター公開講座ブックレット 2010年。ほか執筆・講演・講座多数

記事内の情報は取材当時のものです。記事の公開後に予告なく変更されることがあります。