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CULTUREコラムVOL.8 梅花から「令和」を込めて 茨木神婚物語

2020.04.03

 神武天皇の皇后は、神の子だったといわれています。「古事記」という文献には、物語が次のように記されています。

大物主神(おおものぬしのかみ)は、三島溝咋(みしまみぞくい)の娘、勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)の容貌がたいそう美しかったので、一目見て心を奪われます。彼女がトイレに入ると、丹(に)塗り矢に姿を変え、溝を流れ下って陰部を突いたといいます。娘は驚きながらも不思議に思い、矢を部屋に持ち帰り、床のそばに置いたところ、たちまち立派な男性の姿になったとのことです。二人が結ばれて誕生した子が、神武天皇に迎えられ、皇后になりました。

 話だけを読むと、女性がトイレにいるところへ侵入?すごい話だ…、と思われるかもしれませんね。

 大物主神は、そうめんで有名な奈良県の三輪にある、大神神社(おおみわじんじゃ)の祭神です。「三島溝咋」は、三島の地で溝を掘り、杭を打つなど、治水・灌漑(かんがい)を得意とした氏族の名前です。娘には、ただ会いにでかけても、簡単には近づくことができません。厳しい警護に守られた、箱入り娘でした。家には、母屋と別棟でトイレが建てられ、溝を掘り、川から水を引いていたことがわかります。溝をまたげば、下は水が流れっぱなしです。このような水洗トイレ、もちろん普通の家にはありません。一帯を支配した豪族の長の家であり、そこの娘であったことを想像させるようにできています。丹塗り矢は、丹を塗った赤い矢。神社の破魔矢(はまや)に、丹塗り矢を見つけることができます。物語は、語られた当時の生活を豊かに表しています。

 母方には、茨木市の溝咋神社を訪ねることができます。平安時代の「延喜式(えんぎしき)」という文献に記され、式内社と呼ばれる、古くから知られた神社です。歴史的には、奈良の三輪周辺の勢力が、淀川を渡り、茨木の地にまで及んでだことを示唆しています。古代の物語は、戦より、多くがこのような恋愛を得意として展開されています。

梅花女子大学教授 市瀬 雅之
現代訳から原文までを用いて『万葉集』に文学を楽しむほか、『古事記』や『日本書紀』等に日本神話や説話、古代史をわかりやすく読み解く。中京大学大学院修了 博士(文学)。著書に『大伴家持論 文学と氏族伝統一』おうふう 1997年、『万葉集編纂論』おうふう2007年、『北大阪に眠る古代天皇と貴族たち 記紀万葉の歴史と文学』梅花学園生涯学習センター公開講座ブックレット 2010年。ほか執筆・講演・講座多数

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