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CULTUREコラムVOL.10 梅花から「令和」を込めて 北摂の御陵散策

2020.07.29

北摂の御陵散策

 

大阪で「古代天皇陵」といえば、世界遺産に認定された百舌鳥古墳群・古市古墳群が想起されます。4~5世紀の歴史を知る貴重な存在です。これに対して、北摂には6世紀の御陵を訪ねることができます。第26代継体天皇陵がそれです。不思議なことにふたつもあります。ひとつは宮内庁が管理する茨木市の太田茶臼山古墳。もうひとつは考古学の成果から推定された高槻市の今城塚古墳です。

どうしてふたつになったのでしょう。継体天皇陵は、『古事記』に「三島之藍陵」とあり、『日本書紀』に「藍野陵」と記されています。これが平安時代の『延喜式』になると、「摂津国嶋上郡」に在ると記されます。「嶋(=三島)」が、上郡と下郡に分けられていく歴史をたどることができます。この辺りにもっとも立派で、美しい姿を残した古墳を探してみると、太田茶臼山古墳があげられます。ただし、「太田」は下郡に位置します。江戸時代の国学者で知られる本居宣長は、「藍」に「安威」という地名が残されていることに着目して、「古へは上の郡なりにしや、今は下の郡なり」と考えました。異論はなく、明治時代に入ってから、太田茶臼山古墳が継体天皇陵に認定され、宮内庁に管理されています。出かけてみると、傍らには西国街道(古山陽道)が通り、まわりに陪塚をいくつも備え、堀に水をたたえた美しい姿を観ることができます。

考古学的には、この古墳が年代にあわないとの調査結果を得ています。西国街道(古山陽道)を、もう少し東に進んだところにある今城塚古墳からは、他に類を見ない大きな家形埴輪等が出土しました。こちらが本当の継体天皇陵であろうと推定されています。美しい公園に整備され、無料の資料館を備えて、古墳の周囲をめぐることができるばかりか、その気になったら登ることさえできます。ひとりの御陵をめぐって、ふたつの古墳を訪ねられる。ある意味で、とても贅沢な歴史空間が楽しめます。

 

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梅花女子大学教授 市瀬 雅之

現代訳から原文までを用いて『万葉集』に文学を楽しむほか、『古事記』や『日本書紀』等に日本神話や説話、古代史をわかりやすく読み解く。中京大学大学院修了 博士(文学)。著書に『大伴家持論 文学と氏族伝統一』おうふう 1997年、『万葉集編纂論』おうふう2007年、『北大阪に眠る古代天皇と貴族たち 記紀万葉の歴史と文学』梅花学園生涯学習センター公開講座ブックレット 2010年。ほか執筆・講演・講座多数

 

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