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CULTUREコラムVOL.11 梅花から「令和」を込めて 北摂の御陵散策

2020.08.25

古墳が神社

皆さんが神社にイメージするのは、鳥居があって、お社があって・・・と、考えられるのではないかと思います。茨木市にある大織冠神社は、鳥居をくぐってお社を目指すと、お社はなく古墳が祀られています。祭神は、藤原鎌足です。645年、乙巳(いっし)の変(大化の改新)の頃は、中臣鎌足と呼ばれていました。『日本書紀』を開くと、天智8年(669)10月10日に、重病で伏せっていた鎌足を、天皇が直々に見舞ったことが記されています。15日に大織冠と藤原の姓が与えられ、翌16日に薨じています。与えられた冠名が神社名となり、新たな姓のもとに奉祭されています。神社の階段を上ると、古墳の傍らには、鎌足廟を記した碑が建立されています。
『日本書紀』には、鎌足の墓所の位置までは記されていません。御破裂山に墓所を築く談山(たんざん)神社(奈良県)の『多武峰縁起(とうのみねえんぎ)』や『多武峰略記(とうのみねりゃっき)』等が、「摂津国嶋下郡阿威山」から改葬したことを伝えているところに、見いだされた神社です。

江戸時代の観光ガイドブックに相当する『摂津名所図会』には、「大織冠鎌足公荒墳」と紹介されています。安威村の西にあり、土地の人は将軍塚と呼んでいたとあります。(今日でも、町全体が将軍山と呼ばれています)改葬にあたっては、土地の人々が悲しんで、また惜しんで、棺を取り返そうと争ったと記されています。最後には遺骨を分けて争いを鎮めたとのこと。それ故に別名「胴塚」とも呼ばれたそうです。また、改葬時に塚が鳴動したので「動塚」とも呼ばれたとあります。塚の上には立派な松が生えていて、古墳を覆って雨や露から守っていたので「笠松」と呼ばれていたそうです。地元の厚い信仰を集めていた様子がよく表現されています。

足廟とされる古墳の左手に回ると、移築された将軍山古墳も観ることができます。駐車場はありません。阪急バス「追手門学院前」(終点)で降りて、道なりに目の前の森(小山)を目指すと右手に入り口があります。歴史的にも考古学的にも見応えがあります。

 

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梅花女子大学教授 市瀬 雅之

現代訳から原文までを用いて『万葉集』に文学を楽しむほか、『古事記』や『日本書紀』等に日本神話や説話、古代史をわかりやすく読み解く。中京大学大学院修了 博士(文学)。著書に『大伴家持論 文学と氏族伝統一』おうふう 1997年、『万葉集編纂論』おうふう2007年、『北大阪に眠る古代天皇と貴族たち 記紀万葉の歴史と文学』梅花学園生涯学習センター公開講座ブックレット 2010年。ほか執筆・講演・講座多数

 

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