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高槻市の文化遺産 古曽部焼を再興

2020.11.04

高槻市は粘土質の土と水に恵まれ、古くから焼き物づくりに適した土地と言われている。川久保地区には、江戸後期に高槻市で生まれたと言われる古曽部焼を再興させた寒川義崇さんの義崇窯がある。
寒川さんは和歌山県の窯元の家に生まれ、幼い頃から陶芸の世界に触れてきた。芸大を卒業後、骨董商での勤務を経て知人の勧めで古曽部焼と出会った。「あたたかくて、親しみやすい。人間味を感じるんですよ」。デザインや色使いなど明確な決まりはないが、人が作るからこそ生じる独特の風合いが古曽部焼の特徴だ。

水無瀬川分流の小川の横にある義崇窯。ここで多様な茶道具が生み出される。

古曽部焼は、江戸後期に初代・五十嵐新平が、地元の古曽部村で窯を開いたのが始まりとされている。江戸後期というと交通網が整備され、料理法が飛躍的に進歩した時代。「庶民が使う食器も木製から陶磁器になり、需要が高まりました。そんな時代に生まれたのが古曽部焼。皿や茶碗など民用の日用雑器を中心に手掛けていました」。一方で茶陶も手がけ、武家茶人・小堀遠州が好んだと言われる“遠州七窯”にも数えられている。

先代が手掛けた古曽部焼。

古曽部焼は4代に渡って受け継がれてきたが、大正初期で途絶えてしまう。だが、昭和54年に寒川さんが興し、川久保で義崇窯を開窯。以降は茶陶を40年以上つくり続けている。「飲み口が歪んでいる、左右非対称な形など不完全なものに見えますが、茶の湯の世界ではこれが好まれてきたんです。従来の古曽部焼の人間味を残しつつ、シャープに仕上げたのが今の古曽部焼」。作品は、茶の湯を親しむ寒川さんならではの個性を感じさせ、新しい古曽部焼のカタチがみられる。「高槻は京都からも近く、茶の湯の歴史も深いまち。古墳だけでなく、様々な文化を知ってもらえたら」と寒川さんは話す。

寒川さんが手掛ける作品。古曽部焼の良さを 残しつつ、茶の湯に合うよう洗練した仕上がりに。

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