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CULTUREコラムVOL.9 梅花から「令和」を込めて 心に留めて、先へ

2020.07.16

心に留めて、先へ

 

鬼病が人を苦しめたという歴史は、古くからあります。例えば、天平9年(737)に藤原四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麻呂(むちまろ・ふささき・うまかい・まろ))を死に追いやったことで知られる、豌豆瘡(わんずかさ)の流行(巷では「裳瘡(もかさ)」と呼ばれていました。今日の天然痘のことです)。『続日本紀』には、各地で多くの人が亡くなったとあります。外交の窓口であった九州では、2年前からひどかった様子が記されています。今日と同様に、病への対応が求められ、住人には食料などの給付と減税が繰り返されています。いったんは収束したかのようにみえて、人々の往来が、その範囲を拡大していきました。

そうした間の、天平8年(736)のできごとです。病がいまだ潜む九州を通って、新羅へ遣わされた使者たちがいました。奈良の都を出発して、大阪から船に乗り、瀬戸内海を通って九州に入ります。『万葉集』巻十五には、道中で詠まれた歌がたくさん残されています。その中に、九州から壱岐島へ渡った時のこと、鬼病で亡くなった雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)を悲しむ歌が記されています。ご家族は帰りを待ち焦がれているだろうに、出かけようとしている遠い国にも着かないまま、故郷からも遠く離れて亡くなってしまったあなた。あの人はどうしたの?と尋ねられたらなんと言おうかと、作者は嘆いています。末尾の歌では、「世の中なんていつもこんなもんさと別れた、あなたを切なく、私は思いながら行くのか」と結んでいます。

 

世の中は常かくのみと別れぬる

君にやもとな我が恋ひ行かむ

与能奈可波 都祢可久能未等

和可礼奴流 君尓也毛登奈

安我孤悲由加牟

(15・三六九〇)

 

ここまでの旅だけでも、時に船が流され、一晩中海を漂った、苦しい旅をともにしてきました。作者は、人生のはかなさを嘆きながらも、友への思いを心にしっかり留めて、自らは先に進まねばならないことを承知しています。歌うことが、その思いを長く伝えることになりました。私たちも、新型コロナウィルスの経験に、さまざまな思いを抱かずにはいられませんが、心して、新たな日常に向き合いたいと思います。

 

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梅花女子大学教授 市瀬 雅之

現代訳から原文までを用いて『万葉集』に文学を楽しむほか、『古事記』や『日本書紀』等に日本神話や説話、古代史をわかりやすく読み解く。中京大学大学院修了 博士(文学)。著書に『大伴家持論 文学と氏族伝統一』おうふう 1997年、『万葉集編纂論』おうふう2007年、『北大阪に眠る古代天皇と貴族たち 記紀万葉の歴史と文学』梅花学園生涯学習センター公開講座ブックレット 2010年。ほか執筆・講演・講座多数

 

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