高槻市の郷土史家・古藤幸雄さん 「悲劇の武将 松永久秀と高槻」を出版
2021.02.26
高槻市の郷土史家、古藤幸雄(ことうゆきお)さん(81)が1月、戦国の三悪人の一人とされる武将を取り上げた「悲劇の武将 松永久秀と高槻」を出版した。大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場した久秀(1508~1577)は、高槻出身といい、近年の研究では主君に忠実に仕えた武将だったと再評価されている。古藤さんは「久秀の正しい人物像を伝えたい」と、出身地の現地調査も重ねて書き上げた。
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古藤さんは高槻市立中学校で英語教師として長年勤務した。同市大蔵司の生家が元は庄屋で多くの古文書が残されていたことから、27歳のころ古文書の読解を学び始めた。以降、こつこつと歴史研究を進め、地域の近世史を中心に著書も数冊出している。
本の中身
近年は市北西部の三好山(182メートル)山頂にある芥川山城跡や山道の整備に地元有志と取り組んできた。2018年の台風で倒木が道をふさぎ、山頂のほこらが壊れたが、気を取り直して復旧を進め、昨秋、ほこらの再建も終えた。ほこらは16世紀半ば、畿内や周辺を支配し、一時この城を本拠とした三好長慶(ながよし)をまつる。久秀は長慶の家臣。ほこら再建に伴い、地元出身ということで久秀も合祀された。
久秀は長慶やその嫡男に仕えた後、織田信長とともに戦ったが、信長に反旗を翻し、居城の信貴山城(奈良県平群町)で自害した。将軍・足利義輝や長慶の嫡男を暗殺し、東大寺大仏殿を焼いた大悪人とされた。しかし近年、こうした逸話は後世の創作や誇張と考えられている。古藤さんによると、久秀は将軍暗殺には関与しておらず、長慶の嫡男は病死、大仏殿焼亡は偶発的な事件だという。
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今回の著書は第1章で、高槻に生まれ、長慶に仕官するまでの久秀に迫った。久秀は如是川が流れる現在の高槻市東五百住(よすみ)町に居を構えた地域の小豪族・土豪の出身とされる。古藤さんはその近くでいまも久秀が社にまつられ、祭祀が続けられていることを、現地調査や関係者の聞き取りで明らかにした。久秀が同市の本山寺で学問を修めたことも史料から論じている。第2章では33歳で歴史の表舞台に現れてから自害するまでの生涯を、先行研究を踏まえ自身の見解を交えて叙述した。
古藤さんは久秀を「主君に忠誠を尽くし、畿内を支配した『三好政権』のナンバー2にまでなった非常に優れた人物」と評する。「なのに信長らに翻弄され、滅亡させられたうえ、後世にまで悪評を残された悲劇の武将だ。この本で彼の無念を晴らせたら」と言う。
「悲劇の武将 松永久秀と高槻」 (一粒書房) 税抜き2,000円 。JR高槻駅前・アクトアモーレの大垣書店高槻店で販売している。
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