‐茨木市‐ 中川清秀の肖像画や光善寺の仏像など 4件を市指定有形文化財に指定
2026.10.26
①「紙本著色中川清秀像(しほんちゃくしょくなかがわきよひでぞう)」(絵画)、②「中川清秀宛羽柴秀吉書状(なかがわきよひであてはしばひでよししょじょう)」(古文書)、③「中川(なかがわ)清(きよ)秀(ひで)制札(せいさつ)」(歴史資料)、④「木造(もくぞう)阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)立像(りゅうぞう) 附(つけたり) 蓮華座(れんげざ)1基(き)」(彫刻)の4件が令和8年10月23日付けで茨木市指定有形文化財に指定された。
①梅林寺所蔵の「紙本著色中川清秀像」は、像主である中川清秀の個性を的確に表現しようとした戦国期肖像画の優品。眼は濃墨と淡墨を使い分け、髪や髭、眉や皺の一本まで細線を用いて緻密に表現され、口元から二本前歯が覗くのも中川清秀の特徴であったとみられる。
②梅林寺所蔵の「中川清秀宛羽柴秀吉書状」は、本能寺の変直後、中川清秀が羽柴秀吉にその発生を伝えた書状に対する返書と考えられる。秀吉は、本書状によって信長・信忠が無事であるとの情報をあえて伝えることで、清秀に味方勢力としての行動を促そうとしたことがわかる。
③茨木神社所蔵の「中川清秀制札」は、天石門別神社(あまのいわとわけじんじゃ)に宛てて発給された禁制であり、境内の竹木の無断伐採や、参詣人や諸人による狼藉を禁じ、これに違反した者は厳罰に処することを中川清秀が保証する内容が記されている。
②③の史料は、本能寺の変直後の情勢や地域支配の実態を具体的に示す貴重な史料。
④光善寺所蔵の「木造阿弥陀如来立像 附 蓮華座1基」は、小像ながらも全国的に見てもきわめて上質で完成度の高い平安時代末期の彫像。造立後の伝来は不明だが、江戸時代前期には光善寺の本尊として迎えられていたと考えられる。
以上4件のうち、中川清秀関連の①②③は、現在開催中の文化財資料館第42回テーマ展「茨木城主中川清秀」において公開している。
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