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読書の秋に 川端康成の青春をたどる茨木・文学散歩

2021.10.17

10月7日、ノーベル文学賞が発表されました。受賞者はアフリカ・タンザニア出身のアブドゥルラザク・グルナさん。日本ではまだあまりアフリカ文学はなじみがないそうで、私も初めて聞きました。今度、本屋でチェックしてみようと思います。

そこで忘れてならないのが、日本初のノーベル文学賞受賞者であり、茨木市が生んだ文豪・川端康成。

 

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

 

「雪国」を読んだことがなくとも、この冒頭を知っている人は多いのではないでしょうか。恥ずかしながら私もその1人で、最後まで読んだのはほんの数年前。ただ若い頃、まさにこの1文のような景色に出会ったとき、「”雪国”だ」と思ったことは覚えています。

その程度の知識ですが、川端康成という人物が、何を感じ、どんな人生を歩んできたのか興味がありました。

そこで10月初旬、読書の秋にちなんで「茨木市立川端康成文学館」へ行き、文豪の青春をたどりました。文学館のレポートと、そこから歩いて行ける距離にあるゆかりの地を写真でご紹介します。

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元茨木緑地

文学館正面にある元茨木緑地。1か月もすると紅葉が見ごろになりそう

文学館は南北に細長い元茨木緑地の道を挟んで向かい側、市青少年センターと同じ建物内にあって気取らない雰囲気です。文学館の部屋がある部分のみ外観がレンガ造りのようになっており、緑の中に静かにたたずむ姿は、控えめでありながら存在感を示しています。こちらは市が運営するもので、入館料は無料。私が行った時は、2、3人が来館していました。

 

※館内は撮影禁止のため、ノートにメモを走らせつつ見学しました。

 

文学館は1階の3部屋のみの展示で、川端の誕生から茨木を離れる18歳までの歩みとその後を、写真やパネル、父・栄吉や川端本人直筆の手紙や原稿で追っていきます。

 

医者の父を持ちながら、小さい頃は身体が弱かった川端も、小学校を卒業するころにはすっかり元気に。図書室の本を1冊残らず読むほど読書が好きだったといい、早くも文豪の片りんを見せていました。

 

中学生の時に、友達が地元新聞社に送った投稿が掲載されたのを見て、川端も同社に持ち込みます。日記には「私の原稿が活字になるといふ野心と好奇心から 京阪新報社へ道をたづねてゆくかへり道 希望に湧きかへつてゐた」と記しています。文豪の“はじめの第一歩”の瞬間です。誰もがスタートは一緒なのだな、と私も初めて自分の文章が活字になった時の新鮮な気持ちを思い出しました。

茨木神社

茨木神社の夏祭りに行ったことが高校の時の日記に記されています

なお、川端が持ち込んだ「京阪新報社」は、茨木市を中心に大阪北部をエリアとして、京都、奈良、東京にも支局があったそう。僭越ながら弊社に被るところがある気がして、少しうれしくなりました。

 

17歳の日記には「おれは今でもノベル賞を思わぬでもない」と書いたとか。まさかこの若い時分にノーベル賞を意識していたとは思いもよらず驚きです。

東本願寺茨木別院

東本願寺茨木別院。ここで英語教師の葬儀が営まれ、その話を書いた作品が大阪の雑誌に掲載されたといいます。現在は正面に保育園があり、本堂では小さい剣士たちが剣道の練習中でした

10代後半、親友に宛てた手紙の文字には勢いがあります。また若き日の写真を見ると、老年期の写真でも面影を残す大きく鋭い目が、より強く生命力あふれています。文字と写真、日記や手紙の内容から、川端の力強さが伝わってくるようでした。

 

大学生になり上京すると、本格的に文壇への道を進み始めます。そこで芽生えた恋のエピソードを元に、大正13(1924)年に発表した小説「篝火」の直筆原稿が。1行目に書かれたタイトル「篝火」の右横に、ぐちゃぐちゃと線で消された字が見られました。かろうじて読み取れるそのタイトルは「新晴」。

 

—そして、私は篝火をあかあかと抱いている。焔の映ったみち子の顔をちらちら見ている。こんなに美しい顔はみち子の一生に二度とあるまい。―

 

「篝火」の一文は、初恋相手に思う川端の心情そのものだったのでしょう。

周山堂

川端ゆかりの地で今も続く店も複数。「周山堂」は川端が雑誌の装丁を頼んでいたという活版所

菊池寛と出会い、「文藝春秋」の同人になり、「文藝時代」創刊、「感情装飾」刊行、そして高校時代に一人旅をしたときの体験を基にした「伊豆の踊子」発表と続き、精力的に活動する様子がうかがわれます。

 

その後の目覚ましい活躍は、言わずもがな。

ということで割愛しますが、中でも私の印象に残っているのは、少女雑誌「ひまわり」で、少年少女の作文や女性からの投稿文の選評をしていたという川端が、女学生の娘の友人に宛てて贈った「美しい日本の文章を大切にしてほしい」という言葉。昭和24年当時、川端は「今日の少女の読み物が、当時の社会と同様混迷し、俗化している」と感じていたといいます。この時代においてこのようなことを憂いていたのだから、今の時代を見て何を思うのでしょうか。

阪急本通り商店街

阪急本通り商店街にもゆかりの店が複数

テーマ展示「川端康成と横光利一 —100年目の邂逅(かいこう)―」(開催中~来年1月末まで)では、四半世紀を共に過ごした友人・横光利一との交流を紹介。世界的文豪の影に友情あり。人間らしい川端の一面を知る展示となっていました。

 

JR茨木駅、阪急茨木市駅からもほど近い川端康成文学館の周辺は、緑もあって散歩するにもちょうどよく、今回は紹介していないゆかりの地もまだまだあります。

大きく鋭い目で、日本の美を見つめ描写した川端康成。彼が生きた時代を訪ね歩き、想像を膨らませながら小説を読めば、より物語の世界を堪能できることでしょう。

編集部 竹内

 

川端康成文学館

住所
茨木市上中条2-11-25
電話番号
072-625-5978
営業時間
9時~17時
定休日
火曜、祝日の翌日、12月28日~1月4日
入園料・入場料
無料

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